Forgotten Dreams/Leroy Anderson

私が生まれ育ったのは、東京近郊の国立という小さな町だ。

幼い頃、隣り町の立川にある伊勢丹に連れて行ってもらうのがこの上もない楽しみだった。

幼児の頃の記憶なので定かではないのだが、店内には大きな丸いテーブル状のお菓子のショウケースがあり飴玉やジェリービーンズ、ヌガーなどがカラフルに盛ってあって、しかも回転している。まさに夢のような光景だった。そして店内に流れていた音楽はルロイ・アンダーソン。

幼心に焼き付いた幸せな時間。何度も夢見た光景なので何らかのバイアスがかかって実際とは違うかも知れない。しかし、まだ日本が貧しい頃のことだから確かにあの場所はパラダイスだった。

当時、伊勢丹は新宿と立川の2店舗のみで、立川店は新宿店に似た石造りの外観で一回り小ぶりながら老舗の雰囲気がある落ち着いたデパートだった。今は移転して普通のビルになってしまったが、駅前通りと交差するように流れていた緑川(今は暗渠になってしまっている)の橋のたもとに堂々と建っていた。
私が幼児だった昭和30年~32年頃には、緑川にかかっていた石造りの橋に傷痍軍人や乞食が筵(むしろ)を敷いて座っていて通行人からお金を恵んでもらっていた。
中には私と同年齢と思しきおさな子を連れた乞食もいて、側を通る時に「見てはいけません。」と親に言われた記憶がある。そうした境涯にある人を好奇の目で見てはいけないという躾けだった。
そんな時代、デパートへ行くのはまさに晴れの日で、よそ行きの服にお着替えをしてもらって出かけたものだった。
伊勢丹の内と外との極端な違いが、夢の国を増幅させていたのかも知れない。

伊勢丹の屋上からは今は昭和公園となっている米軍の立川基地が見えた。
日本人がオート三輪で荷物を運んでいる横で、アメリカ人の乗っている大きなシボレーが颯爽と走り抜けていく。1ドル360円、実際の購買力はもっと大きな開きがあっただろう。
そしてアメリカ人は体が大きい。
道行く米婦人は、私の父親より背が高かった。
何よりも目鼻立ちが立派で堂々としている。
心なしか日本人が俯き加減になってしまう感覚が幼子にも感じられた。
当時、1950年代のアメリカは名実ともに世界一豊かな国だった。
あの時代を代表する作曲家ルロイ・アンダーソンは、そんなアメリカの豊かで寛容で勤勉な心優しい人々の暮らしぶりを現在に伝えてくれる。古き良きアメリカ、そんな憧れの入口が伊勢丹だったのかも知れない。

2021年1月24日 日曜日。
今日は朝から冷たい雨が降っている。夕方からは雪に変わって都心でも積雪があるかも知れない。コロナ禍で外出もままならないのだが、それでもこの天気では気分も湿りがちだ。
そんな時、NHKの「サラメシ」という番組でパイドパイパースの「Dream」を流している。私もスマホの着信音に使っている大好きな曲だ。


「気分が落ち込んだ時には夢を見よう」という癒しの歌。
随分昔に禁煙したので、
Dream
while the smoke rings rise in the air
You'll find your share of memories there
という訳にはいかないのが残念だ。

セブ島の理路庵先生はsmoke ringsを口からポンポンと出して笑っているだろうか。
それとも禁煙してしまっていたら少し残念だなと思ったら何故か愉快な気分になってきた。

理路庵先生の『CEBU ものがたり』は
是非訪ねてみて欲しい。












コメント

  1. セブ島に暮らしていると、子供のころを想い出すことがあまりありません。異国の異文化の方に多くの気持ちが向いてしまうせいかもしれません。

    トッポジージョさんのブログを目にするようになってから、私の思いは一気に、10代から20代、20代から10代を行きつもどりつしています。当時の風景がありありと浮かんできています。

    「DREAM」を聴いて口ずさんでいるうちに、なぜか、「テネシー・ワルツ」の詩が頭に入り込んできたりしました。

    タバコはやめましたよ~。

    気持ちが穏やかになるブログをありがとうございます。

    セブ島
    世生 理路

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    1. 理路庵先生コメントありがとうございます。
      禁煙してしまったのですね。それは残念でした(笑)。

      『愉快』をメインテーマにしようと決めてしまったので、思いつくことが昔話ばかりになってしまいます。
      ネタ切れになるまで昔話を続けるしかないかなと思ったりしています。

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