Tennessee Waltz - Patti Page
1月27日水曜日
今日は有休を使って骨休め。老体に鞭打って働いてはいるものの土日だけでは疲労が抜けない時もある。
PCを開けて理路庵先生の『セブものがたり』でも見ようとすると妻が「そんなに理路庵先生が良ければセブに行ったら」と悪態をつく。「よしそれなら行ってやろうじゃないか。」と言いたいところだが、臆病者の私は日本を離れたことが無い。第一英語が出来ないという決定的な能力不足がある。それで「金のかからない楽しみなんだからいいんじゃない。」と言い訳めいた逃げ口上を言いつつPCを立ち上げる。
さて理路庵先生が思い出された『テネシーワルツ』。
私が小さい頃に聴いたのは江利チエミだった。当時は蓄音機があるのはお金持ちと決まっていたし、まだテレビが普及する前だったからラジオが唯一の音源だった。
我が家のラジオからFEN(米軍の放送局)が流れることなど無かったので、聞こえる洋楽は江利チエミや雪村いずみがカバーしたものだった。しかし私にとって江利チエミの唄う「テネシーワルツ」は大変失礼だが、あか抜けないお姉ちゃんの鼻歌ぐらいにしか聴こえなかった。(子供の素直な感想です。)
でも濱っ子の理路庵先生が思い出したのは当然ご本家のパティ・ペイジに違いない。
なるほど江利チエミとはまったく別物だ。
こんなしっとりとした歌だったのだ。
理路庵先生のロマンチックな一面が感じられて少し愉快な気分になる。
本物の洋楽を聴く機会が限られていた時代、映画は今よりも影響力のあるメディアだっただろうと思う。というのも私は『カモナマイハウス』と唄うローズマリー・クルーニーを観た記憶があるからだ。
YouTubeで見つけた時は嬉しかった。
幼児の頃の記憶は曖昧で「オーケストラの少女」という映画の一場面で唄われていたと思い込んでいた。本当は「楽しき我が家」(The Stars Are Singing)という映画だった。こんな事まで調べられるようになったのはつくづく便利な世の中だと思う。
調べると言えば、こんな事もあった。
ビデオが発明されてTSUTAYAなどのレンタルビデオ屋があちこちに出現した頃。
ロバート・デニーロの映画を借りて観ていたら、こんなシーンに出くわした。
殺人現場に来た鑑識官のデニーロがジュークボックスをかけて踊ってしまう場面。聴いたことの無いなんともノリの良い曲。
気になって調べることにしたもののこれが大変だった。
映画のエンドロールをチェックするのだが、当時のビデオデッキは映像を止めても画面が小刻みに揺れるので中々読めない、再生すると文字は鮮明だが早すぎて読めない。何度も再生、ストップ、反転、再生を繰り返してやっとのことでメモした。
翌週、そのメモを持ってタワーレコードへ行き探してみること小一時間、やっと3枚組のCDを見つけることができた。その時、心の中で快哉を叫んだのは言うまでもない。
今でも大切なお宝だ。
それから20年は経っただろうかYouTubeで見つけたLouis Primaの「Just A Gigolo」
一緒に歌っているのはKeely SmithでCDと同じだ。
う~ん、と唸るほどのノリの良さ。藤村有弘という役者によく似たおっさんが唄ってる。
あの『ひょっこりひょうたん島』のドンガバチョまで思い出してしまった。
世の中は楽しい事であふれている。
理路庵先生の年賀状(ブログ『CEBU ものがたり』より令和3年・元旦)に
『自分自身にとっての「いい時間」を一分でも一秒でも多く持つようにしてください。』
とあったことを少し実践した気分で愉快愉快。
人生を豊かにしたいと思ったら理路庵先生を訪ねることをお勧めする。
ブログ『CEBU ものがたり』は
「テネシー・ワルツ」
返信削除ありがとうございました。郷愁にかられます。並みの郷愁をはるかに上回る郷愁にかられました。
異国で過ごしているせいもあると思いますが、その郷愁はセブから日本経由で、はるか昔の若いころにたどり着く分だけ、強い郷愁となってよみがえってきます。
「カモナマイハウス」「Just A Gigolo」
ありがとうございました。
セブ島
世生 理路
理路庵先生 コメントありがとうございます。
返信削除先生の「テネシーワルツで感じる郷愁」という言葉には、とてもロマンチックな響きがあります。
それはどんなものだろうと数日考えてしまいました。
とても失礼なことなのでお伺いすることはできませんが、常に理知的で冷静な先生にも心に秘めた熱情があるのだと感じた次第です。
拙ブログが放つ小さな矢が先生の心の琴線に少しでも触れられたかと思い、いつも『CEBU ものがたり』を読ませていただいている恩返しになったかもしれないと勝手に喜んでおります。