Gigliola Cinquetti - Non ho l'età

  1964~65年頃には、放送衛星で海外と繋がったせいかビデオテープが発明されたからか理由は兎も角、海外の情報が明らかに増えた。

 中でもイタリアの『サンレモ音楽祭』が日本でも放送され、この年の優勝曲はタイムリーに日本でもヒットした。これは凄い事で四年前のローマオリンピックの映像はフィルムで送られてきたのでニュースで見るのはかなり後になってからだった。その頃まで新聞が電送写真を載せる最速の情報伝達手段だった。テレビが情報伝達の主役になりつつある時代の変わり目だった。

1964年の優勝曲。ジリオラ・チンクエッティの『夢見る思い』(ノノレタ)。

同じ頃流行った、シルビィー・ヴァルタンの『アイドルを探せ』


そしてマージョリー・ノエル『そよ風にのって』


 あの頃を知る世代には懐かしい曲ばかりだろう。ヨーロッパのポップスがテレビ画面で流れる時代になったのだ。

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 NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビさらにNET(日本教育テレビ、現テレビ朝日)が開局していたが、最後に東京12チャンネルが試験放送を開始した。
 試験放送なのでテストパターンばかりが映っていた記憶があるが、時々ビックリするような映像を流していた。記憶に残っているのは、アメリカの宗教音楽を中心とした番組でマヘリヤ・ジャクソンが唄っていた。この番組ではエルビス・プレスリーも讃美歌を唄っていて、人気の陰りが見えていた彼が後年復活する前に宗教音楽を唄っていた頃になる。
 
マヘリア・ジャクソンで『サマータイム』

 何を唄っているのか分からなくても圧倒的な彼女の歌唱力には人の心に訴えるものがあった。
 東京12チャンネルはカシアス・クレイ(モハメド・アリ)等のアメリカのボクシングの試合も放送していた。それは、軽量級のボクシングと違って一発のパンチでKOする迫力のある試合ばかりだった。
 モハメド・アリはベトナム戦争を批判して兵役を拒否したのでヘビー級のタイトルとボクサー資格を剥奪される。そして空白となったヘビー級チャンピオンを決める試合が組まれて最終的にジョージ・フォアマンがヘビー級チャンピオンになる。フォアマンは東京でも試合をしたことがあるが、相手を殺してしまいそうな強力なパンチを持っていた。
 モハメド・アリはアメリカで試合することが出来ずにカナダやヨーロッパで試合を続けながらボクサー資格を回復するための裁判を続け、ついに勝訴してタイトル戦への階段を登り始めた。
 1974年10月30日ザイール(現コンゴ共和国)のキンシャサでジョージ・フォアマン対モハメド・アリ戦が行われた。1ラウンドから7ラウンドまでフォアマンは打ち続けた。アリはロープに追い詰められて打たれ続けた。大方の予想通り私も勝てるはずは無いと思った。アリは34歳になっていたし、ジョー・フレージャーにも負けている。フォアマンはフレージャーを一蹴していたのだ。ところが8ラウンドにアリが一瞬の隙をついて反撃して数発のパンチをフォアマンにくらわすとフォアマンは倒れた。大逆転のKO勝ちだった。
 『キンシャサの奇跡』と言われたこの試合は全世界に中継された。日本ではテレビ朝日が放送権を獲得したのだが、テレビ朝日はヘビー級ボクシングの神髄を伝えたかった訳では無く話題性に飛びついただけだと思った。この試合に至るヘビー級の様々な試合を東京12チャンネルは放送していた。まさにヘビー級戦国史を放送してくれたのだ。
 テレビ局のそんな姿勢は、その後アメリカのボクシング中継をなくしていく。今日では有料放送でなくては楽しめなくなってしまった。それを思うとアリが闘っていた十数年の時間を共有出来たことに感謝したい。
 東京12チャンネルありがとう。

 さて、このブログで子供の頃を書き出してからなかなか小学校を卒業できないでいる。次に進もうとすると『こんなこともあった』と思い出してしまい書き残しては先に進めなくなる。そんな記憶の在庫一掃と思って書いたので、今回は焦点の無い文章になってしまった。先を急がず少しずつ進めていきたい。

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 以下のアドレスは尊敬する理路庵先生のブログです。
 『CEBU ものがたり』
 読んで『目から鱗』の内容で、楽しくためになります。

 
 

コメント

  1. トッポジージョさんのブログを拝見するたびに、その時代時代を彩った話題から、いろいろなことを想い出します。

    「キンシャサの奇跡」
    「奇跡」は言葉の上では存在しますが、現実には決して起こりえないと、ある時期からほぼ確信しています。
    世界的なスーパースターだったアリが、ベトナム戦争の兵役を拒否し、ヘビー級のタイトルもボクサー資格も剥奪されたニュースは、アメリカという国とアメリカ人について考えるときの、ある重要な材料を私たち日本人に与えてくれました。
    アリはアメリカ人ではありますが、アフリカ系のアメリカ人です。スーパースターとはいえ、当時のアメリカ社会からは、アリの行為に強い批判が巻き起こったことも事実です。
    どんなに逆風にさらされようが、アリは自分の信念を曲げなかった。ボクサーとしての栄光よりも、もっと大切なことがある。ボクサーである前に一人の人間として生きることこそが真(まこと)なのだという信念を、アリは貫き通した。並みの選手にはできないことです。
    アメリカ政府は政府で、スーパースターのアリをボクサー界から追放した。政府は政府の判断を、アリに対して実行した。
    アリは思って考えて実行した。政府も思って考えて実行した。ここがアメリカのアメリカたるところです。アメリカ人のアメリカ人たるところです。
    日本でもし同じようなことが起こったら、はたして、どのような結末になっていたでしょうか。

    2000年の何月だったかは忘れました。キューバ人少年がアメリカに(たしか)密入国した事件を巡っての話。
    アメリカ政府は少年の身柄を強制的に「保護」した。大リーグのキューバ・ドミニカ系選手が、政府の少年に対する扱いに抗議を示す意味で、試合をボイコットした。チームは試合に負けた。
    ボイコットした選手の話。「立ち上がらなければならない時は、立ち上がらなければならない」
    監督の話。「チームが10連敗しても構わない。彼らの判断を尊重する」
    強制保護に踏み切った政府の信念。監督と試合をボイコットした選手の信念。
    それぞれの信念に基づいた行動。アメリカほどには日本では見られないのではないでしょうか。

    「キンシャサの奇跡」ではなく、アリの「キンシャサの信念」が、あの血が沸き立つような勝利を、アリというひとりの人間にもたらしたのです。

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  2.  理路庵先生コメントありがとうございます。
     『ほら吹きクレイ』と言われたアリが歩んだ困難と栄光の人生。そのハイライトが『キンシャサの奇跡』でしたね。キンシャサでは30万人がこの試合を見に集まったと記憶しています。
     私はただただ圧倒されていたのですが、先生のようにその根底に『アメリカのアメリカたるところ』を理解してはいませんでした。今でもよく判りません。戦後の日本はアメリカの影響を強く受けたと言われていますが、核になる部分の『アメリカ』を受容することは無かったのでしょうか。
     いつか先生のブログでテーマとして取り上げてもらえたら嬉しいです。

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