ゴジラ

 エジソンの伝記を読んだのはいつ頃だったろうか。小学生の一時期、伝記物にはまって野口英世やヘレンケラーやシュバイツアーといった偉人伝を夢中で読んでいた。そんな経験は誰にでもあるだろう。

 だが、エジソンの伝記の中で印象に残ったのは、例の『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』という名言ではなくて、電球のフィラメントが日本の竹だったという逸話だった。

 2月27日付の拙ブログ『STARDUST』にも書いたが、私の幼い頃は夜が暗かった。どんな風に暗かったか、参考にして欲しい映画がある。

 昭和29年の東宝映画『ゴジラ』の記念すべき第1作目だ。当時の夜の暗さを良く表現していると思う。夜は電気の点いている部屋でも隅が暗いのが解るだろう。
 私の家の便所は続き部屋になっていて、戸を開けると※小便器(男性用の朝顔)があり、その奥の戸を開けると大便器があった。二部屋の間に小さな四角い繰り抜きがあって30ワットの小さな電球で両方の部屋を照らしていた。一般に居室の電球は100ワットだったから、それがいかに弱い光だったか想像できると思う。

※ 小便器は、男性が立ったまま小用をするための便器で小便が飛び散らないように上に向けて大きな口を開いている形をしている。これを朝顔と呼んでいた。
 
 大便器の前には埃や塵を穿き出す小さな窓があり、小便器の上には換気用の窓があった。夜の便所は暗くて怖かったが、この窓の外に広がる夜の闇を想像するとその恐怖は並大抵のものではなかった。

 夜、便所に行くと小便器の上の窓から外を見てしまう。闇の中に家々の屋根が連なっているがその家並の向こうにゴジラの姿が見えるのだ。そしてゴジラの大きな目が光り私が見ているのを察知してしまう。ゴジラは夜空に向けて大きな咆哮をしてから此方に向きを変えた。私は恐怖のあまり便所を出たいのだが、尿意を我慢できない。あああ・・・
 という夢を見た朝、下半身が冷たいことに気が付く。敷布団には見事な世界地図があった。

・・・
 新見南吉といえば『ごんぎつね』という童話が教科書に載っていて『ごんぎつね』が可哀そうで心を痛めたものだったが、同じ作者で『おじいさんのランプ』という童話があって、明かりの無い村で育った少年がランプに出会いランプ売りになるという話で、闇に包まれた夜に灯されるランプの明るさはありがたいものだった。そんなある日、電柱の工事を見かけて何事かといぶかっていると電球で煌々と照らされる商店を見てしまう。それはランプのような弱い光では無かったのだ。ランプ売りは池の端の木に全てのランプを灯して眺めてから一つ一つ石を投げて壊したのだった。
 この物語を読んだ時に『夜の闇』を日常感じている私は、ランプ売りの気持ちが分かるような気がした。そんな私だからエジソンの伝記にあった白熱電球の寿命を延ばすため様々な※フィラメントの材料を試した中で日本の竹を使ったところ素晴らしい長寿命で実用化に成功したという逸話に強く引かれたのだ。
 
※ 真空にしたガラス球の中の電極を抵抗帯で結ぶと発熱し発光する。これがフィラメントで日本の竹を使ったエジソンは1200時間という驚異的な寿命を達成した。

 しかしエジソンの白熱球でも夜の闇を完全に消し去ることは出来なかった。だから幼い私には夜は怖いものだった。闇に対する私の恐怖は『蛍光灯』の出現によって終止符を打ったが、それと共に失ったものも数多くあったように思う。夜が暗くなければ『ゴジラ』も作られなかったのではないだろうか。『ゴジラ』もシリーズ化されると闇の恐怖は消えてしまう。

 ・・・
 近頃の子供は『おねしょ』をしないのだろうか。私は常習犯で随分叱られた。流石にこの歳になると『おねしょ』はしないが、夜中に小用で目を覚ます。その度に電気も点けずに家族に気付かれないよう静かに壁をつたってトイレに行く。
 こうなってみると『夜が怖かった』頃が懐かしい。

 こんな私の愉しみは理路庵先生のブログを見に行くことだ。
『CEBU ものがたり』
 『人が生きるということ』を見つめる先生の眼差しに感銘を受ける。
 

コメント

  1. Walawala村に定住してまっ先に気づいたことは、夜の闇でした。
    村には外灯もなく、夜になって、村びとも犬もネコも草木も寝静まると、あたり一面には静寂と漆黒の闇だけが広がるのです。

    今の日本の住宅地では、よほどの過疎地か山間の僻地でないかぎり、漆黒の夜にお目にかかることはできないでしょう。

    上の動画にある、かつての日本の家庭の夜。しばし見入りました。こんなに暗かったんだ。電球の下だけがぼんやりと明るくて、隅の方は薄暗い。それでも、一家の団欒の明るさに満ちていたんでしょう。

    夜の闇がしだいに消え失せていくにつれて、人の心模様にも変化が出てきたのではないかと、村の生活が始まったばかりの頃に、よく思ったものです。
    昼は明るく、夜は暗く。
    この世には、人が容易に立ち入ることができない部分があってもいいのではないか。たとえば、夜の深い闇。自然への「畏怖の念」のような気持ちを忘れないためにも。

    「夜の闇」と「おねしょ」の因果関係は、ひょっとしたら、あるかもしれません。漆黒の深い夜の闇の恐怖に脅かされることがなくなった現代の子供たちは、尿意を覚えたらすぐに真夜中でもトイレに起きればいいのですから。

    返信削除
  2. 理路庵先生、コメントありがとうございます。
    私は理路庵先生の言う漆黒の闇を知りません。私の知る闇は所詮明かりの向こうの闇でしかありません。
    それでも怖かった。
    漆黒の闇とはどんなものだろうと想像してもこればかりは体験しないと分らない。
    昨年、大嘗祭が宮中で行われて、その一部が放送されました。深夜、松明の明かりのみで行われていたのですが、暗闇の中に松明で照らされたものだけが映るので映像の大半は暗闇に包まれていました。
    今年は東大寺二月堂の『お水取り』をNHKが10時間にわたって放送しました。これも松明の明かりだけでした。
    1200年も全く同じ儀式を続けていることに感動したのですが、いにしえの人々は漆黒の闇の中で生きていたのだと改めて思いました。
    先生がワラワラ村で体験されている漆黒の闇は古代に通じているのかも知れませんね。



    返信削除

コメントを投稿