三悪追放

 昭和40年のお正月に山口君と立川松竹にお正月映画を観に行ったことは前に書いた。その時に岩下志麻が舞台挨拶をした。生まれて初めて見た女優が岩下志麻で小学校6年生の男の子には眩しいくらいの美しい人だった。

 岩下志麻は小津安二郎の遺作となった『秋刀魚の味』のヒロインとしてデビューした。新人ながら松竹の将来を背負う女優と紹介されていた。

 
 昭和37年の映画には当時の中流(といっても管理職の会社員という設定だから中流でも少しゆとりのある)家庭の生活ぶりが記録されている。ここには『居酒屋』の喧騒は無い。宴会はお座敷でビールか日本酒、会社帰りには『トリスバー』で静かにトリス(原酒10%の二級ウイスキー)を呑む長閑な日常が描かれている。これは小津監督の趣味も影響しているのかも知れない。

小津作品といえば笠智衆が詩吟を謡う場面がある。

 外国から入手した貴重な映像をYouTubeにUPしてくれているが、いずれ著作権のクレームが松竹から出れば削除されてしまうかもしれないのでよくよくご堪能いただきたい。これは『彼岸花』(昭和33年)となっているが、私の記憶では『秋刀魚の味』の一場面のような気がして少し混乱している。
 気の利く人がこの動画のセリフを文字起こししているので転写させていただく。(Toru KATO氏に感謝)

<笠智衆>
楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す、
乃父の訓は 骨に銘じ
先皇の詔は 耳猶熱す
(ちょいと長いからな。飲みながら聞いてくれ)
十年蘊結す 熱血の腸
今日直ちに 賊鋒に向かって裂く
想う至尊に辞して 重ねて茲に来り
再拜俯伏して 血涙垂る
心を同じうするもの 百四十三人
志を表わす 三十一字の詞
(和歌、挿入)帰らじと兼ねて思えば梓弓亡き数に入る名をぞ止むる (和歌、終わり)
鏃を以て筆に代え 涙に和して揮う
鋩は板面に迸って 光 陸離たり
北のかた四条を望めば 妖氛黒し
賊将は誰ぞや 高師直
(ま、このへんでやめとこう)

 ここで中村伸郎が『青葉茂れる桜井の』を歌い出し全員が唱和する。これは楠木正成が息子の正行に別れを告げた有名な『桜井の訣別』を題材にした唱歌。

 娘の結婚がテーマなのだが、伏線に『大事に育てて他家へ嫁がせるのだから女の子はつまらないねぇ』という父親の嘆きがある。そこでいきなり太平記の世界に飛んで楠木正行の辞世の詩吟となり終いに楠木親子の別れの歌をほろ酔い加減で全員が唄う。『彼岸花』は昭和33年の映画なので私はまだ幼稚園だ。当然、私の親もここに出てくる登場人物よりも年下である。私の親は大正生まれの戦中派だからこの人たちは明治生まれの人達なのだろう。戦前の旧制中学・高校の教育を受けた人達で、会社で管理職となっている。中流といってもエリートの端くれにいる庶民なのだ。
 生涯独身だった小津が描く明治の男達の心模様。

 ・・・

 我が家の近所に足助(あすけ)さんという人がいた。農林省にお勤めで夕刻きっかりと同じ時間に御帰宅になるのだが、夏の陽の長い日に表で遊んでいると帰り道の足助さんによく頭をなでてもらった。いつも赤ら顔でどこかで一杯ひっかけて帰ってくるのだろうとても機嫌の良い人だった。

 足助さんは『書』をよくする人だった。父に連れられてお伺いしたことがある。庭の木戸を開けて入ると縁側の戸を開け払って座敷に毛氈を敷き画仙紙に向かって太い筆を振るっている。黙って足助さんが篆刻を押すまで見ていた。普段の陽気な酔人ではなく凛とした佇まいが美しい別人がそこにいた。一目置いていたのだろう父は足助さんに敬語を使っていた。足助さんも上機嫌で『杜甫』や『李白』がどうだとか話している。そしていつの間にか話が菅原通斎に及んだ。

 三悪追放協会の菅原通斎は一筋縄ではいかない破格の人物だ。裏の社会との繋がりも噂される人間で政界の黒幕ともいわれていた。そんな人物が『売春・麻薬・性病』の三悪追放運動をしていた。そして昭和31年に売春防止法が制定された。大宅壮一から「アレ(女)は菅原がやり尽くした事だ」と皮肉られたという逸話がある。

 私が菅原通斎を知ったのは大蔵省の『放出ダイヤ』のニュースで登場したからだ。戦時中軍に供出させられた貴金属は、戦後GHQに接収され講和条約発効後に大蔵省に移管されていた。それを払い下げて国庫を潤すことにしたのだが、それを菅原通斎がテレビで『放出ダイヤを買いましょう』とやっていた。

 母は『供出した人の怨念が籠ったダイヤなんて嫌だわ』と言っていた。足助さんは『あんな子悪党がテレビに出て御国の為と言っているのが腹立たしい。』と言っていた。

・・・

 さて先程の映画の場面に戻るとそこに菅原通斎が『菅井』という役で出ている。この場面の冒頭で麻雀をするといって4人が別室に抜けた後のやりとりをもう一度聞いて欲しい。今度は私が書き写してみた。

<中村伸郎/河合> それでね、細君に頼まれて仲人は俺がしたんだけどね。平山はどうも気に入らないらしいんだお婿さん・・・

<菅原通斎/菅井> どうして?

<佐分利信/平山> いや・・

<江川宇礼雄/中西> なかなかこっちが思うようないい婿なんていないもんだよ。まあ何てったって、せっかく育てた奴をやるんだもんな。 

<笠智衆/三上> 菅井の所は子供何人だよ。

  ━ 菅井、手を振り返事をしない。━

<佐分利信/平山> いないのか?

  ━ 菅井、また手を振る。━

<小林一九二/同級生> 多いんだよ菅井のところ、六人だろ。

  ━ 菅井、手を振る。━

<北竜二/堀江> 七人か?

  ━ 菅井、うなずく。━

<中村伸郎/河合> みんな女だろ。

  ━ 菅井、うなずく。━

<北竜二/堀江> (にこやかに笑いながら)そうだろうな。

<中村伸郎/河合> そりゃそうだろう。

<菅原通斎/菅井> 何が?

<佐分利信/平山> いやぁ、いいんだよ。こっちのこった。

<江川宇礼雄/中西> しかし何だねぇ。子供って奴も子供だ子供だと思っている内にいつの間にか大人になっているもんだね。

<笠智衆/三上> まったくだねぇ。 

<北竜二/堀江> もっとも、そうでなくちゃ困るがねぇ。うん、三上あれやってくれ久しぶりに。

 ここで役の上とはいえ、菅原通斎をみんなで揶揄しているのが分るだろう。この脚本を書いた小津安二郎の脳裏に売春防止法や三悪追放運動があったのは間違いないと思う。こうして昔の映像を改めて見直しても菅原通斎の人相はお世辞にも良いとは言えない。

 世の中には、ろくでもない俗人が臆面もなく社会の木鐸のような顔をして陽の当たる場所に陣取っている事がよくある。こうした人間を軽蔑しながらも敢えて声を上げずに跋扈させてしまう。争いを好まぬ日本人だからなのだろうか。

・・・

 そんなごまめの歯ぎしりをしている私が訪ねていくのが理路庵先生のブログだ。

『CEBU ものがたり』のアドレスは

https://ba3ja1c2.blogspot.com/

 先生は『人生を楽しむ』ことの大切さを教えてくれる。






 

 

 



コメント

  1. 菅原通斎。「名は体を表す」ではなく、「風貌は体を表す」とでも言った方が相応しい。どことなく「ウサン臭さ」が漂っていたのを、何となく覚えています。

    さて、小津安二郎を採りあげてくださりありがとうございます。
    小津監督について寸評するほど多くの作品は観ていませんが、なかでもあの「東京物語」を、もうずいぶん前に見た時の感動は忘れることができません。日本人の情感が淡々と描かれています。
    小津作品が表現している日本人の情緒は決して日本人だけのものではなく、世界に通ずる普遍性があります。世界が認める小津安二郎たる所以です。

    笠智衆が詩吟を謡っているYouTubeに見入りました。役者の演技とはいえ、まさに、久しく忘れかけていた「ニッポンのお父さん」という面々の風景です。今の時代に、このようなお父さんを演じることができる日本の俳優はいますかね?
    もう、時代が変わってしまったので、いないかも知れませんね。

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  2. 理路庵先生、コメントありがとうございます。
    考えて見れば、トッポジージョもあの場面に出ている佐分利信や笠智衆や中村伸郎といった人達、そして彼らが演じている父親たちよりも上の年齢になっています。
    そして彼らのような『大人の男』になれなかったことに忸怩たる思いがいたします。同じ意味で現在の役者には彼らのような父親像を演じるのは無理なんでしょうね。
    そう思うとフィクションとは言え先生の仰る『日本人の情緒』を映像として残してくれた小津安二郎監督に感謝したいです。


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