ワクチン狂想曲
大手町の大規模接種会場でコロナワクチンを打ってもらったのは、住んでいる自治体の対応が遅くイライラさせられたからだったが、ワクチン接種が遅滞しているとの批判を受けて国が自衛隊に運営させる大規模接種会場がどのようなものか興味があったのも一因だ。
丸の内線で大手町に行くとホームに『接種会場はこちら➡』という張り紙があって辻々にも人が立ち会釈してくれる。迷うこともなく会場まで導かれ受付を済ませると8人ぐらいのグループに分けられて案内されながら場所を移動して気が付くと注射を打たれていた。
いざとなるとここまで手際よくできるのだと感心して帰宅すると『ワクチン接種一日百万回突破、累計2000万回を超える』と報道している。形が出来るまで時間がかかるもののいったん形が出来てしまえばさくさくと運営してしまうのは日本の特色かも知れない。
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そういえば、私の右上腕部には判子を押したような傷跡がある。小学校の同級生たちにも大きさに大小あるものの同じような傷跡があった。これは種痘と呼ばれた天然痘のワクチンで右肩又は右上腕部に傷をつけて接種するため傷が残るのだ。乳幼児に接種するので記憶には残らないがさぞかし痛かったことだろう。
天然痘は撲滅されて地球上に存在しないことになっているので現在では種痘をしていない。それでも世の中には怖い伝染病が数多くあって、それだけワクチンも数多く存在する。
昔は結核が恐ろしい病気だったから乳児の頃にBCGワクチンを打って、抗体が残っているか小中一年生にツベルクリン反応という検査をして陰性なら抗体が残っていないのでBCGワクチンを再び打ってもらう事になっていた。BCGは種痘ほどではないが肌に傷をつけるので『痛いワクチン』と言われ陰性反応が出ないように祈るような気持ちだった。
昭和30年代の日本は欧米の先進国に遅れをとっているという共通認識があった。例えばトイレは汲み取り式で水洗では無かった。しゃがんで大便をするとドボンと糞ダメに落ちる不衛生なものだった。農業も化学肥料ではなく堆肥で農家には肥溜めがあった。こうした環境ではお腹に回虫を宿してしまう児童が多く健康診断の時に提出する検便で回虫が発見される児童がクラスに何人かいた。
回虫は動物の大腸に寄生して成長するがその卵は排泄物と共に排出される。堆肥を畑に撒けば野菜には多くの卵が取り付いてしまう。あの頃はキャベツ畑に紋白蝶(モンシロチョウ)が一杯いた。キャベツの葉には蝶の幼虫が明けた穴がたくさん開いていた。幼虫は蝶だけでは無かったのだ。
回虫がいるとお尻が痒くなる。夜寝ている間に回虫が肛門の周りに卵を産むからだ。私もお尻が痒いと言ったら医者に連れて行かれて虫下しを飲まされた。回虫は体内で大きくなると何メートルにもなって、終いには腸壁を食いちぎる。そうした恐ろしいものだという教育をされていた。
下水道が完備しないとトイレの水洗化は出来ない。化学肥料が普及される前、堆肥を使っている間は、野菜を良く洗わないと回虫を除去出来ない。つまり、社会インフラや農業の近代化の遅れが衛生環境の遅れの原因で、回虫を飼っている児童がいるというのは国の恥だった。
学校では毎朝衛生検査が行われていた。爪を切ってきたか、ハンカチ花紙(ティッシュ)を持ってきているか。手洗いの励行とともに学校をあげて取り組んでいた。
児童の死亡率が高いのは後進国特有の現象で厚生行政の重要な課題だった。O E C D 加盟諸国の中で後陣を拝しているのは恥ずかしい事だという機運が国中を覆っていた。
思えば、七五三も桃の節句も端午の節句も子供が無事に成長するように願ってお祝いをする。それほど子供が順調に育つことが難しい時代がついこの前まで続いていた。だからこそ様々な伝染病に対するワクチン接種にも積極的に取り組んだのだ。当時の日本はワクチン大国だった。それは自慢ではなく必死だったと言うべきか。
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あのコロナ対策の優等生だった台湾でコロナが流行し出してワクチンを求めたところ中共が嫌がらせをして手に入らない。中共は、台湾には中国製のワクチンを提供すると言っているらしいが、蔡英文総統は『中国製のワクチンなんてまっぴらごめん』と断った。
すると国民の命と政治的面子とどっちが大切だと野党に突っ込まれた。万事休した蔡英文は日本に助けを求め、日本は珍しく中国共産党の顔色を見ないで速攻でワクチンを供与した。
このニュースに接して私の脳裏に浮かんだのは、ディーン・マーティンの『Everybody Loves Somebody』。浮き浮きするような気分だった。
久々の朗報で快哉を叫びたくなったが、供与したのはアストラゼネカ製のワクチンで輸入したワクチンを他国に提供して良いかアストラゼネカの承認が必要だった。
そういえば、コロナ禍の当初から国産ワクチンの話は出なかった。中国やロシアでさえもワクチンを作っているのにアメリカやイギリスやドイツから輸入するという前提で政府は動いていた。かつてのワクチン大国はどこへ行ってしまったのだろう。
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1970年(昭和45年)に開催された大阪万博のテーマは『人類の進歩と調和』だった。人間が想像したものは必ず実現されると言われていて、今の『夢の○○』は20年後には実現されるだろうという科学技術の進歩についての信頼は国民のコンセンサスだったと思う。
典型的なのは手塚治虫の『鉄腕アトム』だ。原子力で動くアトムは谷川俊太郎の作詞で次のように歌われた。
空を越えて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
こころやさし ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕アトム
『科学の子』というヒーロー像は、科学技術に対する信頼がベースになっている。
小学生の時に『太陽』は『核融合』で永遠のエネルギー再生産をしているという教育を受けた。先進国は『核融合炉』の実用化に向けた実験を進めている。資源の無い日本も国家事業として研究をしているという。
世界最速の新幹線を開発した日本、戦前は無敵だったゼロ戦や世界最大の軍艦大和を作った日本。あの『ゴジラ』にも芹沢教授という科学者が登場する。戦争から立ち上がった日本は必ず科学立国を成し遂げると思っていたし、それを信じる雰囲気が国中に満ちていたと思う。
そうした機運は大阪万博のあった1970年まではあったと思う。NHKの看板アナウンサーだった鈴木健二の『70年代われらの世界』では科学技術の進歩や経済発展に伴う負の側面も含めて課題解決の道筋を見出そうと内外の著名人が出演する画期的な試みを行った。この番組は1975年まで続いたが、全体として明るい未来を人類の叡智は切り拓いて行くだろうという楽観的な雰囲気で作られていたし、またそうしなければいけないという意味付けだったと記憶している。
それが1980年代後半には科学技術に対する懐疑論が蔓延するようになってしまう。
その間に何があったのかとても興味深いテーマなのだがそれは改めて述べるとして、ひとまず現象として1980年代後半に起きた事を振り返っておきたい。
ネット社会の有り難さは、過去に起きた事を克明に記録する個人的な営為が一般に公表されていることだ。ここに記載したアドレスはそうしたものの一つでワクチンについての新聞記事である。
***ここからは長くなります、申し訳ありません***
『予防接種関連・新聞記事(1980年代)』
http://www.arsvi.com/d/p051980.htm
抜粋を紹介するが長いので見出しだけ追っていただいても構わない。ただし( )内は私のコメントである。
◎1986年11月11日 朝日新聞朝刊(危険という声があるのに集団接種が始まっている)
『インフルエンザ予防接種は有効 公衆衛生審が見解発表』
今年もインフルエンザの流行時期を迎えるが、厚生省の公衆衛生審議会インフルエンザ小委員会(委員長、大谷明・国立予防衛生研究所ウイルスリケッチア部長)は10日、「インフルエンザの予防には、やはりワクチン接種が最も有効」との見解をまとめ、発表した。同委がこの種の見解を、改めて発表するのは異例だが、大谷委員長は「最近、市民団体などから色々な意見が出ており、予防接種の効果について誤解を招く恐れもあったため」としている。
意見書ではまず、「インフルエンザの症状が重くなれば、肺炎のほか『脳症』などを起こす恐れもあり、予防対策が後退すれば大きな社会的影響を及ぼす」と指摘、「いまのところインフルエンザに対する有効な予防手段はワクチン接種しかない」と結論づけている。ただし、インフルエンザウイルスは変異を起こしやすく、ワクチンに用いるウイルスと流行するウイルスとの型が合わない場合は効果が弱まるので、型を一致させる努力は今後も必要、としている。
また大谷委員長は、「ワクチン製造の段階で、翌年に流行するウイルスの型をまだ完全に予測できないのは事実だが、副作用などは大幅に改善されており、現在用いられている各種ワクチンの中でも一番安全なのがインフルエンザワクチンだ」とも説明している。
インフルエンザの予防接種については、54年に前橋市内で接種を受けた子どもがひきつけを起こしたことがきっかけとなり、同市医師会が55年以来、小中学生や幼稚園、保育園児へのワクチン集団接種を中止している。その後各地の父母や市民グループの中から、集団予防接種の義務づけやワクチンの効果などに対する疑問の声が上がっていた。
今回の意見書は、このうちワクチンの有効性に関して答えるのが狙い。51年以来、児童、生徒たちに義務づけている集団予防接種を今後どう取り扱うかなどについては、現在、同省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」で検討を続けており、今年度末には結論を出す予定だ。
同省によると、現在わが国でインフルエンザワクチンの予防接種を受けているのは約1500万人。今年は、すでに各地で接種が始まっている。
◎1987/02/22日 朝日新聞朝刊
『インフルエンザ集団接種の見直し求めてネットワーク』
小、中学生のインフルエンザ集団予防接種に、「効果が証明されておらず、大人のためにと子どもに強制し続けているのはおかしい」と反対している全国の市民グループが、21日、東京・高輪の国民生活センターに集まり、運動の全国ネットワークを結成した。
厚生省が昨年夏、検討班を設け、集団接種を見直すのか、どうか、近く同班の結論が出るため、この時期に、反対運動側の声をまとめようという狙いだ。
また、この日は、54年度に集団接種をやめ、以来、世界にもあまり例がない大規模な疫学調査を続けてきた群馬県前橋市医師会が、1月にまとまったばかりの報告書を紹介。
「集団接種を中止しても、大人を含めての患者発生は他地域と変わらなかった」「子どもは実際に感染することによって高い免疫を身につけ、しかも3年ほどその効果が続いた」「健康な子にはワクチン接種は利益にならない。それを集団強制接種することで、社会を守るという政策も裏付けがない」という内容に、会場からは「この調査を国の検討班はどう評価するつもりだろう」という声が出ていた。
◎1987/02/22 毎日新聞東京朝刊
『インフルエンザ予防接種の中止求め全国組織結成』
「事故、後遺症の危険があり、予防効果が薄い」として、児童へのインフルエンザ集団予防接種の中止を訴えている全国各地の二十七団体、約百人の代表が二十一日、東京港区の国民生活センターに集まり「インフルエンザ全国ネットワーク」を結成した。
集会では、五年前から集団接種をやめている前橋市の医師会関係者が「接種者と非接種者の過去五年間のデータを分析した結果、予防効果が薄いことが判明した」と報告。今後、厚生省に接種中止を働きかけていくことを決めた。
◎1987/03/01 朝日新聞朝刊(典型的なミスリード)
『インフルエンザ集団接種の効果に疑問 予防体制を再検討へ』
インフルエンザ予防体制を検討している厚生省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」(班長・福見秀雄長崎大前学長)で、現行の学童・生徒に対するワクチン強制集団接種について医学的な根拠は疑問、とする中間報告が28日までにまとまった。「研究班」は接種が義務化されて10年経たのを機に昨年厚生省が設けたもので、集団予防接種の根拠と効果に本格的な検討が加えられたのは初めて。最終報告は3月末までに厚生省に提出され、これを受けて厚生省は予防体制の再検討に入る。インフルエンザワクチンはワクチンの全売上高の半分近くを占めており、業界などへの影響は大きい。
<中略>
伊藤雅治・厚生省感染症対策室長の話 現在は研究班の中の5つのグループが、それぞれとりまとめの作業を始めているところだ。今後各グループが見解を持ち寄って全体討議をすることになる。だから研究班としての判断はいまの段階ではまだまとまっていない。
◎1987/05/17 毎日新聞東京朝刊
『インフルエンザ集団予防接種見直しの厚生省研究班が結論出せず』
◎1987/05/24 朝日新聞朝刊
『「流感ワクチンの評価早く出せ」 集団予防接種反対集団が集会』
◎1987/06/03 読売新聞東京朝刊
『厚生省、今冬の流感ワクチン株を決定 集団接種反対派は反発か』
◎1987/06/13 朝日新聞朝刊(読売の予想通り反対派は反発したが、その反対派は朝日自身だと自己暴露)
『インフルエンザ・ワクチン集団接種「逆転」の舞台裏(時時刻刻)』
ー疫学調査の評価で対立 厚生省が修正働きかけ? 流行時の対応を心配
厚生省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」(班長・福見秀雄長崎大前学長)の最終報告案が11日までにまとまった。しかし、その内容は、子供の健康に関心を持つ親や医師ばかりでなく、検討に加わった班員をも驚かせるものだった。先に同班に出された「強制集団接種の医学的根拠は疑問」とする疫学部会の中間報告が大幅に修正され、今回の研究課題のかなめとなる群馬県の調査に対する評価が一転したためだ。(インフルエンザ取材班)
<中略>
厚生省が現行接種にこれほど「配慮」する大きな理由の1つに、ワクチン業界の事情がある。
もし集団接種が取りやめになると、業界の「ドル箱」が奪われ、他のワクチンの安定供給にも響きかねないためだ。現在、インフルエンザ・ワクチンは、国内7社のメーカーで生産している。細菌製剤協会によると、昨年の生産量は合計で1万7000リットル。あるメーカーの説明からこれを市町村納入価格に換算すると、約115億円余になる。
各社ともワクチン売り上げの大半はインフルエンザ用が占めており、毎年確実に量がさばける強制集団接種は、長期の工程を必要とするワクチン製造の支えになっているのが実情。
もう1つは、業界だけでなく、「減産すれば、いざ大流行の場合に対応できない」などの懸念が学者の問にもあることだ。
しかし、本来研究班の使命は「客観的・学術的立場」にあったはず。「密室」での修正は、研究班への信頼さえも揺るがしかねない。福見班長は12日、自宅で「こういう会議をまとめる場合には、班長が取捨選択しないと意見がまとまらない。ともすれば政治的な配慮に左右されがちだが、長期的な視点こそ大切」というのだが……。
◎1987/06/14 朝日新聞朝刊(ついに反対派に立つ姿勢を鮮明にした)
『だれのためのワクチン注射か(社説)』
「インフルエンザの予防注射は、あまり効かないらしい」--という話は、専門家の間では、公然の秘密であった。少なからぬ医師たちがわが子については注射を受けずにすむよう、学校への届け出の書き方を工夫してきた。確率は低いとはいえ予防注射に事故はつきものだからである。
<中略>
こどもたちへの義務接種を打ち切れば、ワクチン製造業界は経営的な問題を抱えこむことだろう。原材料のタマゴを納入する業者も悲鳴をあげるに違いない。「効果あり」として接種を推進してきた厚生省もバツの悪い思いをするだろう。
しかし、こどもたちは、効果の薄い注射を打たれずにすむ。税金の無駄遣いも減る。その予算を「本当に効くインフルエンザワクチン」の開発にあててほしい。
◎1987/06/26 朝日新聞朝刊(キャンペーンの効果が出始める)
『インフルエンザ集団接種、結論は審議会に任せる 厚生省研究班』
◎1987/06/26 朝日新聞朝刊(反対運動の始まり)
『市民グループ、厚生省にインフルエンザ集団予防接種の中止要望』
◎1987/06/27 読売新聞東京朝刊(予防接種の誤った知識が蔓延しないようにとする啓蒙記事/朝日と真逆なのが面白い)
『予防接種のあり方考えよう インフルエンザ、母親は正しい知識を(解説)』
厚生省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」は、児童・生徒のインフルエンザ予防接種体制について、任意制に緩める方向を打ち出した。
(科学部 馬場 錬成)
全国の千五百万人の幼稚園児、小、中学生を対象に、毎年秋に実施されているインフルエンザの集団予防接種は、さる五十一年に法律で義務づけられた。いわば、学童たちの予防接種を、インフルエンザの社会的流行の防波堤にしようという狙いだった。
今回、同研究班が厚生省などに提出した報告書は「特定の集団に対して接種することによって、社会全体の流行を抑止すると判断できるほどの研究データは十分に存在しない。(したがって)重症化の危険の少ない学童に、画一的に接種を行う必要性は低い」と結論づけた。
インフルエンザ・ワクチンは、以前から医師の間で「接種してもあまり効かない」という意見が多く、麻疹(ハシカ)や破傷風などのワクチンに比べると、経験的に言ってもその効き目は、格段に落ちた。
同報告書は、そうした疑問点にも答えるため、インフルエンザ・ワクチンの有効性と無効性に関する研究報告も記載。結局、将来は、児童・生徒の保護者の同意を得て接種を行う任意方式に、変更する方向を示した。
さる二十日、仙台市で開かれた臨床ウイルス学会で、山形県衛生研究所の片桐進所長は、インフルエンザの流行の実態を追跡した興味深い研究を報告した。
従来、インフルエンザの流行は、児童・生徒の間で伝染し、その後、社会的に流行すると思われてきたが、片桐所長は山形県内で行った具体的な調査結果をもとに「初発患者の多くは行動範囲の広い父母などの成人であり、大人が感染源となって家庭内の小流行が起こる。そして、家庭で感染した子供が学校という集団に持ち込み、大きな流行に広がっていく」と報告、注目を集めた。
今回の厚生省への報告書にあるワクチン接種現場の医師の意識調査でも、「予防接種は、学校や地域社会での流行防止に効果があるとは思わない」「予防接種は、ほとんど効果があるとは思えない」という回答が合わせて五四%もあった。
一方、こうした意識が他の予防接種の場合にも広がると、大きな危険が出てくる。愛知県衛生研究所の磯村思ブ所長は、臨床ウイルス学会で「最近、有効なハシカの予防接種を軽視する傾向が出ている」と警鐘を鳴らした。
「ハシカのワクチンを接種しても、ハシカにかかることがある」「ハシカは死ぬような病気ではない」などと考えている若い母親が急増しており、「ハシカに関して正しい知識を持っている母親は、おおむね三分の一くらいしかいない」と報告した。
これを機会に、各種予防接種の正しい知識の普及について、厚生省と自治体は真剣に取り組むよう望みたい。
新聞各紙が報道しているが、中でも朝日新聞が突出している。一種のキャンペーンのようなもので科学的知見を客観的に報道するというより、ワクチンに反対する人達の活動を報道する形を取って彼らの主張を広報している。
こうした活動は次第に厚生行政に対する不信や製薬会社への疑いを広めていく。結果としてワクチンについて『萎縮行政』が行なわれるようになり、製薬会社はワクチン製造から撤退してしまった。
参考にして欲しい情報がここにある。
『【医師監修】昔の子どもは集団予防接種をしていた? インフルエンザの今と昔』
https://www.kenei-pharm.com/general/learn/influenza/5355/
***一部抜粋***
集団ワクチン接種が行われていた頃は、小中学生の接種率は100%に近いものでした。しかし、集団ワクチン接種がなくなったことで、小中学生の接種率は著しく低下したといわれています。副反応による健康被害は減ったかもしれませんが、インフルエンザの流行においても、何か変化はあるのでしょうか。
これについて、興味深い研究結果が報告されています。2001年に米医学誌に掲載されたもので、日本で小中学生の集団ワクチン接種が行われていた期間と、なくなった後の高齢者の死亡率を調べたものです。
研究によると、小中学生へのワクチン接種が推奨され始めた1962年、肺炎やインフルエンザによって死亡する高齢者の数は激減し、集団ワクチン接種を行っていた1977年から87年はずっと低い数値をマークしていました。しかし、集団ワクチン接種がなくなると、高齢者の死亡者数は再び増加し、2000年にはワクチン接種が推奨される以前と同等の高い数値に戻っていたのです。つまり小中学生の集団ワクチン接種は、自身がインフルエンザにかかったり、症状が重症化したりするのを防いでいただけでなく、インフルエンザによって亡くなることのある高齢者の発症や重症化を防ぐことにもつながっていたのです。このことから認識されたのが、ワクチンは個人だけでなく、社会全体を守っていた可能性があるということです。というのも、多くの人が予防接種によって免疫を獲得していると、集団に感染者が出たとしても、流行の拡大を最小限に抑えることができるのです。そしてこれは、免疫力の弱い高齢者や乳幼児をはじめ、ワクチンを接種できない人も守ることにつながるのです。
こういった理由から、集団ワクチン接種はなくなったものの、ワクチン接種は、感染症から多くの人の健康と命を守る手立てとして有効だといえるでしょう。
***抜粋ここまで***
不安を煽る反ワクチン運動はその後も続き、1994年に予防接種法の改正という成果をあげてしまう。
この辺りの事情については、詳しい解説がネットに載っている。
『医療情報室レポートNo.199』
https://www.city.fukuoka.med.or.jp/jouhousitsu/report199.html
***一部抜粋***
★ワクチンは人類の英知が作り出した「武器」である
ワクチンの歴史を振り返ると、1796年、英国の医師エドワード・ジェンナーが行った種痘の接種が世界最初といわれている。それから200年余りが経ち、ワクチンは様々な感染症から人類を救う「武器」として発展してきた。いまや、VPD(ワクチンで予防できる疾病)はワクチンで予防するという考え方が世界の潮流である。しかし日本の予防接種は、1989年に起こった国産MMR(麻疹・ムンプス・風疹)ワクチンによる無菌性髄膜炎の問題や、1992年の「予防接種ワクチン禍訴訟東京地裁判決」を機に国の政策は衰退し、同時に国民も予防接種に対し不安を抱くようになってしまった。この背景には、ワクチンによる一部の健康被害などが、事あるごとにセンセーショナルに取り上げられる報道のあり方と国の過剰とも言える反応に問題の一端があるように思われる。ワクチンは、人体(生体)の免疫システムに作用するため、時に予測できない反応を起こす可能性を持っているが、歴史的・世界的にみて、様々な感染症を撲滅、抑制してきたことは明白である。国やマスコミは、このようなワクチンの役割や有用性こそ広く啓発すべきであり、予防接種による健康被害が生じた場合の救済制度など国民の理解を促す情報についても、もっと積極的に発信していく必要がある。
人類の英知が作り出した「武器」を最大限に活用するため、何が必要かを今一度考えるべきだろう。
***抜粋おわり***
一連の流れの中で、厚労省の『萎縮行政』が定着してしまう。
秋田のベンチャー企業である『UMNファーマ』がアステラス製薬と共同して新しい技術でのインフルエンザワクチンの製造を目指して100億円もの投資を行ったところ、厚生労働省がまさかの製造販売承認をしないという決定をして倒産の危機に陥ったのも日本のワクチン行政の異様さを示している。
国産ワクチンの芽を摘んだのだから、コロナ禍への対応が遅れるのも当然の報いだ。
日本のワクチン開発がままならぬ中、政府は懸命にワクチンを輸入した。菅首相は日米首脳会談の合間に大手製薬会社のファイザーに日本への供給をお願いしている。
そして医療関係者へのワクチン接種が始まると再び反ワクチン運動が起きる。
『新型コロナ「反ワクチン報道」にある根深いメディアの問題 日本放送』 https://news.yahoo.co.jp/articles/05165f510b41511289978b450d92b847d1c14502?page=1
そんな状況下であってもワクチン接種が進まないと責め立てる人々(陣営)がいて、彼等はワクチン行政を歪めた張本人なのである。
ワクチン接種が順調に進み始めると今度はワクチンを忌避する人達の権利を守れと言い出す。E Uではワクチン接種した人にワクチンパスポートを発行する事にして人々の移動を円滑にして域内の経済を活性化しようとしている。それが日本では一部の人々の反対で出来ない。そこで政府は海外への渡航者向けに発行して、日本人が差別されないようにする事にしたが、国内では一部のワクチン接種を希望しない或いは医学的に接種出来ない人達の差別を助長しかねないとして発行を見送った。
・・・
ワクチン狂騒曲とでもいうべき事態が日本だけに起きている。冷静になればワクチンは人類が伝染病との長い戦いを経て獲得した叡知だということは疑いようが無いはずなのだ。
『「ワクチンで防げる病気」をVPDと呼びます。』
https://www.know-vpd.jp/vpd/index.htm
***一部抜粋***
VPDとは、Vaccine Preventable Diseasesの略です。
●Vaccine("ヴァクシーン")=ワクチン
●Preventable(“プリヴェンタブル")=防げる
●Diseases("ディジージズ")=病気
つまり、VPDとは「ワクチンで防げる病気」のこと。
<中略>
VPDの被害をなくそう(Know VPD, No VPD感染! )
日本では、欧米などの国にくらべてたいへん多くの子どもたちがVPDにかかって、健康を損ねたり命を落としたりしています。
ひとつには、ワクチンの接種率が低いことが原因としてあげられます。これはワクチンを受けさせなかった保護者の方が悪いのではありません。今の日本では、VPDの重大さやワクチンの大切さを、一般の方々が知る機会はほとんどありません。もうひとつの原因は、他の国では接種できても日本では使用できなかったワクチンが多かったためです。大切なワクチンと知っていても、任意接種でお金がかかるのではたいへん受けにくいものです。
医療大国のはずの日本。でも、予防接種制度は、世界的に見るとたいへん遅れています。VPDの被害をなくす前にいくつもの壁が立ちはだかっているのです。
***抜粋ここまで***
『羹に懲りて膾を吹く』とは『事なかれ主義』を現わす諺だが、『萎縮行政』もその典型だろう。欧米では当たり前の科学的合理性に基づく議論が日本ではなぜ成立しないのだろうか。
一部の人の異議申し立ては自由な国だから保障されるべき権利だが、学会で異端とされる説を根拠に自己を絶対化して正義の行動を止めない運動家とメディアがスクラムを組むと冷静な批判を許さなくなり結果として国益を損なってしまう。
朝日新聞は5月21日付社説で『夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める』を掲載した。
***一部抜粋***
新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。
この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。
冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。
***抜粋終わり***
表現の自由だから何を書いても構わないが『お前が言うな』と言いたくなる。
この社説に溢れる『感情的な』表現は社会の木鐸たる新聞の社説にふさわしくない。こんな劣化が大手新聞社に起きていることこそが問題だ。不信と反発を煽るメディアならいらない。
世界中のアスリートがオリンピックを目指して懸命な努力と研鑽をしている。そして『平和の祭典・オリンピック』を開催する栄誉を各国との競争の上でやっとのことで獲得したのだ。ならば、コロナ禍の厳しい状況下でいかに安全に開催できるか国民をあげて協力しようと何故言えないのだろう。
白血病との戦いから復帰した池江 璃花子のTwitterに『オリンピックを辞退して』という書き込みが組織的に送られた。オリンピアンに対するこうした圧力を恥ずかしいと思わない人達がいる。
コロナ禍で明らかになったのは、日本という国の変質だ。これは病に近いと私は思う。
嗚呼、鉄腕アトムを歌っていた頃が懐かしい。
・・・
今回もまた『ごまめの歯ぎしり』をしてしまい、長い駄文を連ねてしまったと反省しきりのトッポジージョは理路庵先生のブログを読んで心の平穏を保っている。
世の中には高潔な人がまだいて蘊蓄のある文書を発し続けている。
『CEBU ものがたり』
https://ba3ja1c2.blogspot.com/
是非とも一読をお勧めする。
日米大戦に敗れた日本は、アメリカ製の憲法下で、自国の行く末の命運を他国(アメリカ)に委ねたまま、今日まできてしまいました。
返信削除国難に直面した時にはいかなる犠牲を払ってでも、自分の国は自分で守るという「本義」を失った日本はその後、広義において、いわゆる「平和ボケ」的な考えが充満するようになり、少しでも危険がある事象には必ずと言っていいほどイチャモンをつける市民団体が折々に増長するようになりました。
インフルエンザのワクチン接種を巡る上述の厚生省 VS 市民団体(+朝日新聞)の攻防などは、その一つの例と言っていいでしょう。子供が引きつけをおこした、そもそも接種には期待できるほどの効果はない、などの理由で、厚生省が「引きつけ」を起こして、あげくの果ては、ワクチン行政が委縮してしまう。
ワクチンは人体に作用するものなので、完璧を期すことは当然ですが、この世のすべてに、100%安全なものはありません。
「何かを得るためには、いいことづくめばかりではない時もあるのだ」という考え方を、私たち日本人はもう少し、自覚する必要があるのではないかと思います。
大げさな例かも知れませんが、国を守るという責任感すら欠如している日本人は、身を賭して事に当たる、とか、大いなる危険に立ち向かう、とかいう気概を喪失してしまっているのかも知れません。誰かが何とかしてくれるだろう、という気持ちばかりが強い半面、イザ自分に何かが降りかかりそうになると、小指の爪の先ほどの危険も容認しない。
それにしても朝日新聞のタチの悪さは尋常一様ではない。慰安婦問題の記事の時にもそうでしたね。
東京オリンピックに人生を賭けている人たちも多くいるでしょう。昨年開催予定が流れて一年延びた時間を、心身の平静を維持しながら、満を持してのコロナ禍の下での大会。各選手の皆さんには心残りのないようにと願うばかりです。
V P D についての記事と東京オリンピックについての寸評について、大いなる共感を持ちました。
今回のブログは、まさに時宜を得た内容で一気に通読させていただきました。
理路庵先生、コメントありがとうございます。
返信削除今回は引用も長く読み辛い物になってしまったので、貴重なお時間を割いて通読していただき改めてお礼申し上げます。
医療先進国で国民皆保険の日本で何故ワクチンが作れないのだろうと素朴に思ったのが発端でした。
UMNファーマが倒産しそうになった話を思い出して調べてみると『萎縮行政』という言葉が出てきました。
『萎縮行政』になってしまった経緯を調べると反ワクチン運動が活発に行われた事実が分かりました。
本来なら自分の言葉でまとめたかったのですが、私の力の及ぶところでは無いので元データをお示しすることにしました。
先生のブログを読むようになって私ながら思うところが多く、今回のブログもその一端に過ぎません。
子供の頃の記憶をたどりながら、先生の分析されている現実世界とのギャップを自分の頭の中で組み立て直したい。
難しいけれど理路庵先生の領域に少しでも近づきたい。
トッポジージョの童心はそんなことを私に語りかけてきます。
今後ともよろしくお願いいたします。