濫觴を尋ぬれば 第1回 三木武夫

 今回のテーマは 

つらつらその濫觴を尋ぬれば、禍い一朝一夕の故にあらず。(太平記)

 よくよく事の起こりを調べてみると、禍いはある日突然に起こるのではない。(その要因は長い年月をかけてゆっくり育ち、ある時、大きな禍になって現れるものだ。)

 ブログを書き続けていると理由(わけ)もなく書きたいテーマが浮んでくるが、それは自分の内なる疑問が書くという行為を通じて意識化されているからだと気がついた。太平記を読み始めてこの言葉に出会った時、思わずメモを取った。今起きている事には必ず伏線がある私はその歴史的経過を探る旅に出ているのだと思った。

 ただブログを書くにあたって心していることがある。それは、E・H・カーの 『歴史とは何か』にある 「歴史は現在と過去の対話である」という言葉を常に意識することだが、その意図どおりになっているかは読者の批判に待つしかない。

「歴史は現在と過去の対話である」 歴史の記述の中には著者による歴史観や経験にもとづいた「主観性」が入り込んでおり、その主観性が入り込んでいることを歴史家は慎重に受け止め、それとともに、その主観性がどこに含まれているのか(つまり著者がどのような歴史観や考え方をしているのか)を見極めなければならないとする現代歴史学の立場を表明した。(wikipediaより) 

 そのため極力事実に語らせ、事実を読者と共有した上で自分の意見を書くように努力しているが、こうしたブログは長くなってしまう。出来るだけ簡潔にしたいが、どうしてもそれが出来ずにいるのでこれは私の能力の限界なのかも知れない。

 そこでテーマに沿って連作することにした。

・・・

 さて、理路庵先生が『CEBU ものがたり』で取り上げた福田赳夫の超法規的措置には前例があった事を思い出した。二年前の1975年(昭和50年)8月に起きたクアランプール事件だ。

 クアラルンプール事件とは、1975年8月4日に日本赤軍が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら52名を人質として、日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求したテロ事件。当時の三木内閣がテロリストの要求に屈したため、日本赤軍はさらに同様な事件を起こした。(wikipediaより)

 あの頃はヨーロッパで同様の事件が頻発していて囚人と人質の交換が行われていたので、三木内閣だけが超法規的措置をした訳では無かったし、しかも人質は外国人で犯人は日本人なのだから、三木内閣の判断に対する批判は起きなかったと思う。

 ただ法治国家の行政の長としての矜持は問われねばならなかったと私は思う。

 日露戦争ポーツマス講和の全権委任を託­された陸奥宗光の『­蹇蹇録』に『畢竟我にありてはその進むを得べき地に進み、­その止まらざるを得ざる所に止まりたるものな­り。余は当時何人を以ってこの局に当たらしむ­るも、また決して他策なかりしを信ぜむと慾す­。』とある。

 重責を担う者の矜持とはこうしたものだろう。他国もやっているから仕方が無いでは済まされないのだ。それが二年後に福田赳夫が超法規的措置をするにあたって『人命は地球より重い』と語った時、そこにこの人物の不遜さを強く感じたのは重責を担う矜持が感じられなかったからだ。

 前置きが長くなってしまった。語りたいのは福田ではなく三木武夫のことだ。

・・・

 クアラルンプール事件のあった昭和50年の終戦記念日に三木武夫総理大臣は靖国神社を参拝した。歴代首相の誰も参拝していない終戦記念日にわざわざ参拝したのは三木のパフォーマンスなのだが、事前に「私的参拝四原則」として

(1)公用車の不使用

(2)玉串料は私費による

(3)記帳はあくまで個人で肩書きは書かない

(4)公職者を随行させない

を公表していた。

 これには伏線があってこの年の5月に稲葉法務大臣が自主憲法制定国民大会に出席した事に対し野党から追及されて三木内閣は「私人として出席」という答弁で逃げたが逃げきれず三木総理は謝罪に追い込まれた。これは三木独特の世論迎合パフォーマンスで、野党やマスコミの批判に寄り添う姿勢を見せて『良い子』になったのだ。そして終戦記念日という目立つ日を選んで参拝、わざわざ事前に『私的参拝』を公表するというパフォーマンスを行った。

 三木武夫はロッキード事件で退場させられた田中角栄に対して『クリーン三木』と呼ばれマスコミには三木待望論があった。しかし与党の中で弱小派閥の領袖でしか無かった三木は『椎名裁定』で総裁指名をされた時に『青天の霹靂』と自ら言うほど首相の座から遠い人間だった。だから保守本流から一歩引いたポジションでマスコミ受けの良い発言を続けていた。『三角大福』と言われた派閥の領袖の中で三木は世論調査で常に上位にいたが、それは保守に批判的な人々の受け皿だったからだ。

 昭和50年は戦後30年で、10年、20年に続き、11月21日に天皇御親拝が予定されていたが、その前日の参議院内閣委員会において、社会党は首相の私人参拝表明を受けて、昭和天皇の靖国神社参拝が私的参拝なのかどうかを問題とした。政府は「天皇の私的行為」と逃げたが、社会党は「天皇の場合は、私的な行為を通じてでも国政に影響を及ぼすようなことがあってはならない」と追求した。

 御親拝当日も、境内でキリスト教団体など約80名が「戦争責任をごまかすな」「靖国反対」などの垂れ幕を出そうとして警備陣ともみ合った。これを最後に、御親拝は中断された。

 それ以降、毎年春秋の例大祭には天皇の代理として、勅使が参向し、各皇族も参拝しているが、昭和天皇は靖国参拝が出来なくなった。これがやがて燎原の火のように広がり、天皇の御親拝どころか皇族、総理大臣、政治家の靖国参拝が政治的に非難されるようになってしまう。

 この時の参議院内閣委員会の議事録はWeb上に公開されている。

国会会議録検索システム/第76回国会参議院内閣委員会第4号昭和50年11月20日

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=107614889X00419751120&current=1

一部を紹介すると

118 野田哲(日本社会党)

 午前中の天皇の行為と政府の機能、権限等の問題に関連をして、引き続いて、法制局の長官が見えておりますので、公的行為、私的行為という問題について見解を伺いたいと思うんですが、本年の五月十五日、参議院の法務委員会で三木総理の発言があります。これは法制局の長官も同席をして、隣に座っておられたわけですからよく御承知だと思うんです。このときの三木総理の発言、公的行為か私的行為かという問題について、「稻葉法務大臣が個人の資格と閣僚の資格とを使い分けができるという判断のもとにあの会合に出席をしたわけです。しかし、閣僚という地位の重さから見て、使い分けができない、」、あといろいろありますけれども、そういう発言をされて、そのことが当時の参議院としては確認をされてあの問題が収拾をされた、こういう経緯があるわけです。この発言は当然法制局長官としても承知をしておられる、こういうふうに思いますが、いかがですか。

119 吉國一郎(内閣法制局長官)

 私も、その当日の委員会に総理を補佐するために出席をいたしておりましたので、総理がそういう発言をいたしたことは記憶をいたしております。

120 野田哲(日本社会党)

 そういたしますと、ポイントは、閣僚という地位の重さから見て使い分けができない、個人の資格と閣僚の資格とは使い分けができないと、こういうことを当院法務委員会で発言をされておられるわけですが、それからちょうど三ヵ月たって八月の十五日に三木総理は個人の資格ということで靖国神社に参拝をしているわけです。この行為と、ここの五月十五日に法務委員会で行われた総理の発言とは、一体どういうふうに理解をすればいいんですか。

121 吉國一郎(内閣法制局長官)

 直接法律問題ではございませんので私が的確にお答えすべき問題であるかどうかわかりませんが、お尋ねでございますので私としての考えを申し上げますが、稻葉問題のときに三木総理が閣僚の重みということを非常に強調いたしまして、閣僚の重みというものを考えれば、あのような会合に出席するということ自体が、あるいは三木内閣が憲法改正についての一つの方向を持っておるというような誤解を与えるおそれがあるということから出たものでございまして、特にあの場合におきましては、その会合において出席者の紹介をいたした。紹介をいたして、法務大臣稻葉修先生ということを指名されて、招待者としてそこで聴衆に対して礼をされたというようなこともありまして、そういうようなことからいって、閣僚という立場の使い分けと、また閣僚であっても一個の私人たる立場を持っておるので、その立場の使い分けについては十分に注意をするようにということを閣議でも総理から各大臣に対して話があったような状況でございます。

 先般の三木総理が靖国神社を参拝いたしました事実につきましては、当時いろいろ議論がございまして、自民党総裁としてお参りしてはどうかというような議論もあったように聞いております。しかし、事柄が事柄でございますので、やはり私人としての立場でお参りする方が適当ではないかということを私ども申しまして、最終的には私人としての立場でお参りをしたわけでございます。それで、この場合、私人としての立場ということがどういうことで明らかにされたかと申しまするならば、その前日に官房長官から発表をいたしまして、これはあくまで私人としての立場でお参りをいたしますということで、内閣総理大臣としての資格ではなく、また自由民主党総裁という資格でもなく、あくまで個人としての資格でお参りするということを新聞にもお話しをいたしまして、またちょうどそういうような自民党総裁としてお参りをするということについて議論が起こっていたこともございましたので、新聞にも明らかに私人としてお参りするそうだということがその前日に記事として出ましたような状況でございます。その意味で、私人としてお参りしたということが、これは世上はっきりいたしたものと私どもは考えておりまして、誤解を生ずるおそれは全くなかったものと考えております。

122 野田哲(日本社会党)

 これは吉國さんともあろう者が少し詭弁だと思うんですよ。五月十五日には、閣僚という地位の重みから見て個人の資格と閣僚の資格とを使い分けることはできない、こういうふうに言っておられる。それはあなたも補佐して、恐らくこれはあなたがメモでも書いて総理が隣でもらって読んだんだと思うんです。閣僚という地位の重さから見て個人の資格と閣僚の資格とを使い分けることができないと言う総理が、わずか三カ月の間に靖国神社へ参るという行為、これは個人でございます、総理大臣ではございません、自民党の総裁ではございません、きわめて器用に使い分けをしておるわけです。その責任はあなたに問うわけではありませんが、これは少なくとも五月十五日の発言、使い分けができないということを表明されたこの発言についてはあなたも関与されておるわけですから、この発言と八月十五日の行動とは全く矛盾をしたものじゃないかということを私は主張して、見解を伺いたいわけなんです。

123 吉國一郎(内閣法制局長官)

 当時、稻葉法務大臣の自主憲法制定国民会議出席の問題について政府側から発表いたしました談話の中でも、たとえそれが個人の資格としても、閣僚の地位の重みからしてその使い分けはそもそも困難であり、閣僚の行動としては慎重を欠いたと言わざるを得ないということを言っておりまして、稻葉法務大臣がその当時出席したことについては、全く世上、特に法務省というものはあたかも憲法を所管しているように通俗的には思われておりますような関係もございまして、法務大臣が出席したということが、非常に何と申しますか、三木内閣が自主憲法制定国民会議に志向している、そっちの方を向いているというような誤解を与えたという意味で、政府の発表におきましても、個人の資格としても、閣僚の地位の重みからしてその使い分けはそもそも困難であるということを反省したわけでございますが、そういうようなことも考えまして、内閣総理大臣の靖国神社参拝については、はっきり私人の資格であるということを前もって世上に明らかにいたしまして、誤解のないような措置をした上でお参りをしたというふうに考えております。

124 野田哲(日本社会党)

 これはどうも詭弁としか思えないのですよ。稻葉法務大臣が憲法を変えようという集会へ出る行為については、閣僚という地位の重みから見て私人と閣僚との地位の使い分けはできない、こういうふうに総理が表明をされ、法務大臣にも厳重に反省を求めたということになっているわけです。そういう発言をされた三木総理自身が、総理大臣という、これはもっと重い、稻葉法務大臣よりもっと重い地位の人が靖国神社に行くことについては使い分けができるというのは、これはどういう理由なんですか、ここを聞きたいのです。

125 吉國一郎(内閣法制局長官)

 稻葉法務大臣の自主憲法制定国民会議への出席に際しましては、何らそういうような措置を講じませんで、稻葉法務大臣がそこの招待を受けて、当日、車はいろいろ配慮したそうでございますけれども出席をいたしまして、そこで、先ほど申し上げましたように、法務大臣稻葉修先生ということで紹介をされて、会場内の聴衆に一礼をしたというようなことで、あたかも法務大臣として出席したというふうに当時の参会者が誤解をする可能性が十分に強かったということが一番の論点であろうと思います。この場合でも、もちろんいろいろ議論はございますが、閣僚であっても全く私人の立場、個人の立場として出席できるようにいろんな措置をとるということが可能であったかと思いますが、事が自主憲法制定国民会議というような、これはきわめて重大な問題でございます。憲法改正についていろいろ議論がある際に、自主憲法制定国民会議という団体の会合に出席をするということは、これはきわめて重大な影響を来すということで、その閣僚の地位の重みがその場合には非常に大きく作用したのだろうと思います。

 それに対しまして今回の、今回のと申しますか、八月の三木内閣総理大臣の靖国神社参拝、これはあくまで三木武夫個人の参拝でございまして、従来とも靖国神社に内閣総理大臣が参拝する場合は私人の資格でお参りをしておるということは、これはもう戦後何回か内閣総理大臣たる地位にある人がお参りをしたという例はございますが、その場合にも必ず私人の立場でお参りをしておりますということを国会の場でも申し上げ、それから新聞等にも発表いたしておるような前例もございますので、内閣総理大臣の地位にはあるけれども、それは私人の立場でお参りするものであるということを世上明らかにして、誤解のないような措置をとった上でお参りをしたものと考えております。

126 秦豊(日本社会党)

 法制局長官は、私たちの立場とかなり違っていて、法律専門家として一語一語のたとえば定義づけとかカテゴリーについては厳密そのものでなければならぬ職責でしょう、あなた、そうでしょう。ところがあなたの論理の組み立て方に無理があるわけです。法律的ではない、はなはだ政治的な答弁だ、それは。法制局長官の職能を逸脱しておる。たとえばあなた、かの西尾末廣氏以来、固有名詞を出して悪いけれども、書記長個人とか個人としての西尾末廣、こういう使い分けがいかにむなしかったか、非現実であったか、これはもう戦後政治史に残っているでしょう。あなたがいま同僚議員に答えているその論理の構成、これもはなはだもって苦しい。そうして、あなたがさっきから盛んに言われていることは、関連だから一点だけにとどめますけれども、この稻葉さんには閣僚としての地位の重み。ならば比較考量の常識からして一国の宰相としての地位の重みは稻葉法務大臣をはるかに超えるものじゃありませんか、そうでしょう。それが一つ。

 それから、われわれが午前中から繰り返し巻き返し、あすに追った天皇の靖国神社参拝は、自主憲法制定はおろか表敬法案などについて並み並みならぬシリアスな動きがあるときに、その反対の世論を逆なでするような無神経なやり方についてはぜひとも取りやめてもらいたい、再考慮をしてもらいたいという見地からぼくらは述べているわけです。この方がぼくは常識論だと思う。だから、稻葉さんに比べて三木さんは総理、宰相としての地位の重みは格段に重いし、また象徴天皇としては当然ですよ、あなた方はこれを私的行為という言葉を弄して逃げ切ろうとしているけれども、しかし、その私的行為という考え方と公的行為というものの境界は必ずしも分明でないということは、これまでのあなた国会答弁であるじゃないですか。たとえばあなた方法制局の解釈によると、天皇の地位というのは三分説あるとるる繰り返している、戦後の国会で。つまり、天皇は国家機関としての地位を持つ、国事行為を行う身分である、こういうのが一つあるでしょう。これはどなたも否定されない。それから、天皇は自然人という当然行為を行うけれども、それは象徴としての地位からくる行為、いわゆる公的行為がある。もう一つは純粋な私的行為に分けられる。一応あなた方の解釈はそうなっている。ところがちゃんと条件がついていて、公的行為は天皇の自然人としての行為の一部であるけれども、象徴天皇の地位からいってそのステータスや地位に反するものであってはならないということもあなた方の見解にあるわけです。そうであるとすれば、あすの靖国参拝なんということは、自然人裕仁氏の地位の重みからすると、はなはだこのことが巻き起こす政治的な効果というか、社会的な影響というか、はかり知れないものがあるというのが私どもの考え方なんですよ。だからあなたの答弁は、野田委員に対する答弁を聞いていても、しょせんは法律的な厳密さを欠くものである、はなはだもってあいまいであると言わざるを得ないが、重ねてこの点についてあなたの答弁を求めたいと思う。

127 吉國一郎(内閣法制局長官)

 冒頭に、答弁を申し上げます前に申し上げましたように、事柄が非常に法律的でない問題でございますので、もっぱら法律を所管いたしております私といたしまして的確なお答えが申し上げられるかどうかということをお断りしたつもりでございますが、その意味で、政治的な答弁をしているつもりはございませんが、社会通念を踏まえての答弁、しかも事柄が法律問題ではございませんので、法律的な分析、解明をした上での答弁にならないことはやむを得ないと思います。その点はお許しをいただきたいと思います。

 先ほど来私が申しておりますことは、稻葉法務大臣が自主憲法制定国民会議に出席をいたしました際に政府側が申しましたように、閣僚の地位の重みからして個人の資格と閣僚の資格の使い分けはそもそも困難である、したがって、閣僚の行動としては慎重を欠いたというのが当時の政府側の公的な見解でございます。困難ではございまするけれども、場合によっては使い分けはできる場合もあり得ると存じます。自主憲法制定国民会議の出席等についてはそのような使い分けをすることは非常に困難であると、当時内閣側では考えておったわけでございますが、靖国神社にただ表敬するということ、お参りするということそれ自体については、従来とも先例がございまして、天皇陛下も戦後何回かお参りをしておられる、また内閣総理大臣の地位にあった人も何回か私人としての立場でお参りをしているということは国会の場でも明らかにしておるような状況でございますので、内閣総理大臣が、あらかじめ私人としての立場でお参りをいたしますということを世間に発表いたしましてお参りをすることについては、差し支えはないのではないかということが八月当時の私どもの考え方でございます。

 また、天皇としての行為に三種類があるといま秦委員が仰せられましたのはそのとおりで、政府側の答弁もいたしておりますが、もちろんその公的な行為と私的な行為との差別というものは、おのずからそこに公的な色彩が強くあらわれるか、あるいはそういう色彩はほとんどなくて、と申しますか、全くなくて、純然たる私的なものにとどまるかという、濃淡の差がずっと来ているようなもので截然と私的な行為と公的な行為が分かれるものではないという御指摘はそのとおりだろうと思います。何と申しましても、天皇は自然人であられると同時に、これは憲法第一条において日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴たる地位を持っておられます。したがって、自然人として行動をされましても、生物学を御研究になっておられる場合にはその象徴たる地位はほとんどそこに投影されない全くの私的の行為と考えられる。また那須の御用邸において植物の採集をなさるという場合には同じようなことになると思います。ところが、つい先般アメリカ合衆国を御訪問になったという場合には、これはもう象徴として行動されることは内外ひとしく疑いないところでございまして、こういうものは明らかに公的行為であるということになると思います。

 そこで靖国神社にお参りになる行為はどうであるかということになれば、これは私人としてお参りになる。天皇もそれは信教の自由はお持ちになっておりますわけでございまして、皇居内においても一定の宗教的行為をなさることもございますが、靖国神社にお参りになる場合も、私的な行動として御参拝になるということをあらかじめ明らかにいたしておきまして、天皇の私人としての行為、したがって私的な行為であるというふうに私どもは観念をいたしておる、そういう理論構成でございます。

・・・

 この後も延々と社会党の追及は続く、『私的参拝』という姑息な言い訳が靖国を政争の具にしてしまった。

 同日、日本社会党は吉田法晴の名をもって衆議院議長前尾繁三郎宛に『天皇の靖国神社参拝に関する質問主意書』を提出した。

(https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a076005.htm)

 吉田茂以来歴代の首相は靖国神社に参拝している、中には公式参拝の記録もある。天皇の御親拝も戦後六回を数えていた。そして昭和50年まで靖国参拝が政治問題化されることなど無かった。

 それが三木武夫という跳ね返り(私の意見)によって政治問題化させてしまった。

・・・

 以下に昭和32年発売の島倉千代子の『東京だョおっ母さん』をご紹介する。日本ビクターは島倉千代子の転載を禁じているが、これはテレビ東京のビデオで転載できたので助かった。

この歌の二番の歌詞

やさしかった 兄さんが
田舎の話を ききたいと
桜の下でさぞかし 待つだろ
おっ母さん あれが あれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも

と靖国神社を歌っているが、いつの頃からか二番を飛ばして唄われるようになった。誰でも当たり前に参拝できたのはいつ頃までだったのか、現在日本武道館で行われている終戦記念日の『全国戦没者追悼式』は昭和39年には靖国神社で実施されている。

 靖国神社の菊の御紋は飾りでは無い。総理大臣の参拝が大切なのでは無く、天皇陛下の御親拝こそが唯一無二の大事で、それこそが靖国神社の存在証明なのだ。

 それをつまらぬパフォーマンスで潰してしまった三木武夫は何を考えていたのか、奇しくも妻の睦子は『九条の会』の発起人に名を連ねている。

『濫觴を尋ぬれば 第2回』に続きます。

・・・

 今日も長いブログになってしまったと反省しているトッポジージョが訪ねていくのはセブ島の理路庵先生。

 『CEBU ものがたり』のアドレスは以下の通りです。

https://ba3ja1c2.blogspot.com/ 



 



コメント

  1. 「クアラルンプール事件」は「ダッカ日航機ハイジャック事件」の2年後ではなく、前でしたね。冒頭の貴記述にあるとおりです。私の勘違いに気づかせてくださりありがとうございました。
    さて、福田元総理よりも2年早く、テロリストに屈服し、日本の威信をおとしめた、それこそ「濫觴」をつくった三木元総理。わざわざ終戦記念日に靖国参拝をしたただ一人の総理大臣でしたね。

    野田哲・吉國一郎・秦豊の三人の議論を読むにつけ、今さらながらに、私たち日本という国の大本における「いびつにねじれきった」姿を思わずにはいられません。
    トッポジージョさんも書いておられるとおり、「私人」か「公人」か、「私人」として云々、ーーー。
    もう、不毛の議論、としか言いようがありません。
    122の野田哲と126の秦豊の言は、そのとおりです。片や、吉國一郎の答弁は、言ってみれば、嘘を取り繕うために別の嘘をつく、別の嘘を取り繕うためにまた次の別の嘘をつく、ーーー嘘は何処まで行っても嘘であり、真実とはならない、きりがない、終わりのない、不毛の議論。

    しかしながら、三木元総理にしても、上の3人の論客にしても、個々人に対して、誰も責めることはできません。
    この3人ばかりでなく、私たち日本人の総てが、「犠牲者」と言っていい。日本の「ねじれ」の根本から糾していかないと、靖国問題についての不毛の議論は、未来永劫に続くことになります。
    靖国問題は言うに及ばず、北方領土、竹島、尖閣、拉致被害者などの問題のどれひとつを取ってみても、戦後の日本は何の成果も得られていません。解決などは夢のまた夢。原因は全て、アメリカによる対日占領政策に帰結すると、私は確信します。日本の基軸がひん曲がってしまっているのです。ひん曲げたのは、アメリカです。従順な日本人は、戦後76年も経っていながら、今もアメリカの呪縛の真っただ中にいます。国の基軸が曲がっていては、対外交渉における国の主張の統一性が保たれません。
    戦争の全責任は、日本の軍国主義者たちにある。靖国に眠っているのは、英霊の御霊ではなく、軍国主義者たちの「巣窟」なのだ、という策謀に踊らされて、靖国参拝者は、戦争賛美者だと非難される。韓国・中国もまた、事あるたびに靖国を政治利用している。
    日本のために命を散らした御霊が眠る靖国神社に参拝することは、天皇であろうが政治家であろうが日本人として当たり前の行為です。
    韓国・中国ばかりでなく今はアメリカもが日本の政治家の靖国参拝を斜視的に見て、快く思っていません。
    日本はアメリカ、中国に次ぐ経済大国です。とりわけバブル全盛期の時などは、「日本人? カネ持ちの日本人、でもただそれだけ」と国外からは見られた部分があったそうです。
    経済力は確かに世界での地位を高める一因になります。フランス・イタリア・イギリスーーなどは、日本よりもはるかに経済では格下ですが、間違いなく言えることは、彼らの方が私たちより世界の中では敬われている要素が強い。白人対有色人種という肌の色の違いだけの問題ではない。
    国威はカネの力だけでは買えません。日本(日本人)としての、気概、言動、立ち居振る舞い、などなど、カネがハードだとしたら、もっとソフトな面を世界にどんどん発信していけば、名実ともに日本は世界の中で輝きを取りもどすことができると常に考えています。

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  2.  理路庵先生、コメントありがとうございます。
     これほど深く拙ブログを読み込んでいただいて感謝の言葉もありません。

     先生のブログからあの頃を様々思い出してしまい、三木武夫首相の『私的靖国参拝』というパフォーマンスが招いたことを書かずにいられなくなりました。

     1964年(昭和39年)の東京オリンピックの年の終戦記念日に政府主催の『第二回全国戦没者追悼式』が靖国神社で開催されています。翌年から完成した北の丸の日本武道館で開催されるようになったのですが、あのまま靖国神社で開催を続けていたらどうなったのでしょう。昭和40年には佐藤栄作総理大臣が靖国参拝、昭和41年には当時の明仁皇太子、美智子皇太子妃の靖国ご参拝がありました。さらに昭和44年には昭和天皇の靖国創建100周年の御親拝があり、昭和47年の日中国交正常化の年には田中角栄総理大臣が靖国参拝しています。
     誰も公的だとか私的だとか問題にすることは無かった。それが、三木の時に何故と思ったのです。
     昭和50年(1975年)は、70年安保から五年が経過しています。政治の季節は過ぎ去り、学生はノンポリになりました。戦後30年が過ぎ、沖縄は返還され、日本のGDP(当時はGNPでした)は世界第二位、田中内閣が中国との国交正常化をしていて日本と外交関係が無いのは北朝鮮だけとなっていました。

     先生ご指摘の126の秦豊の発言の一部を追加で色分けしました。昭和天皇を『自然人』と断りながらも『裕仁氏』と言っているのです。護憲派の代表選手を自認する人が、憲法第一条『天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴・・・』と謳っているにもかかわらず不敬の至りとしか思えない。

     戦後30年にして顕在化したことの濫觴を尋ねたいと思いました。もはや先生は私のブログの行き先をお見通しだと思いますが、良い意味でその期待を裏切れるように精一杯頑張りたいと思います。
     
     

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  3. 追申 七人の孫の『人生賛歌』のYouTubeが消されてしまったので張り替えました。

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