濫觴を尋ぬれば 第6回 古事記・天皇機関説・國體の本義

 戦後、教育現場から消された『古事記』には天皇が神の子孫であると書かれている。だからこそGHQによって教育現場から排除させられたのだ。しかし、昭和天皇が神の子孫であることを否定しなかったことは前回述べた。

 私も学校で『古事記』を教えてもらったことは無い。日本史では大和朝廷が天皇の統治を正当化するために編纂させたもの、つまり統治の道具として作られたと教えられた記憶がある。これは戦前の行き過ぎた皇国史観を否定する余りに西欧流の歴史観で古代を評価したためだと思う。

 小林秀雄が聴衆の質問に答える音声がYouTubeにあったのでお聞きいただきたい。

 小林秀雄の早口には閉口するが、このように言葉を拾って字幕を付けてくれた投稿者に感謝したい。
 2分の所で『だけども、○○○はそうじゃないんだよ。』は『だけども、宣長なんかはそうじゃないんだよ。』と言っている。
 クローチェの『歴史は現代史である』と言った言葉を本居宣長に重ねているのが、いかにも小林秀雄らしい。皇国史観の大家である平泉澄もクローチェの影響を受けているが、クローチェの『歴史の叙述の理論と歴史』を翻訳したのが日教組を作った羽仁五郎という皮肉、ここに理論の両義性を見てしまうのは私の理解が至らないからだろう。
 質問者は早口で難解な言葉が次々に発せられて最後に『わかった?』と念を押されても『煙に巻かれたような』気分だったに違いない。

  難解な小林秀雄の話だが、渡辺昇一先生の解説を聴いて『なるほど』と感心してしまった。

 小林秀雄は本居宣長が33年も『古事記』を調べて稗田阿礼(ひえだのあれ)の言葉が聞こえたと感じる境地にまで至ったことを評価している。
 ここで渡辺先生は『~精神』と理解するから国粋主義になってしまうと批判し、これはオカルトだと断定している。
 卑弥呼の時代より神々と交流する能力者が国を導くのがこの国の成り立ちだ。古代の日本の原初的なアニミズムから『古事記』を経て『神道』へと展開していくのだが、根源にあるのがオカルト(神秘)だから神々との交流がその全てで、それ以上でもそれ以下でもない。
 
 それを小林秀雄のようにクローチェまで引き合いにして難しく語るから、分からなくなるし誤解も招くのだ。

・・・
 誤解を招くといえば、昭和10年に美濃部達吉の『天皇機関説』が国体に背く学説として問題にされた。
 美濃部は貴族院で『一身上の弁明』演説を行なった。
 『去る2月19日の本会議におきまして、菊池男爵その他の方か私の著書につきましてご発言がありましたにつき、ここに一言一身上の弁明を試むるのやむを得ざるに至りました事は、私の深く遺憾とするところであります。……
 今会議において、再び私の著書をあげて、明白な反逆思想であると言われ、謀叛人であると言われました。また学匪であると断言せられたのであります。日本臣民にとり、反逆者、謀叛人と言わるるのはこの上なき侮辱であります。学問を専攻している者にとって、学匪と言わるることは堪え難い侮辱であると思います。……
 いわゆる機関説と申しまするは、国家それ自身を一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の団体、即ち法律学上の言葉を以て申せば、一つの法人と観念いたしまして、天皇はこれ法人たる国家の元首たる地位にありまし、国家を代表して国家の一切の権利を総攬し給い、天皇が憲法に従って行わせられまする行為力、即ち国家の行為たる効力を生ずるということを言い現わすものであります。』
 明治憲法の解釈学説として美濃部の『天皇機関説』は通論であり、実際の政治も天皇の大権に属する事項も内閣の輔弼により行使されていた。それが、「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けて行使する」として、軍事に関する天皇大権への内閣の権限を根拠付けていたことを陸軍中将の菊池武夫男爵が不敬だと問題にしたのが発端だった。 
 つまりは陸軍の皇道派が天皇大権である軍の統帥権を私しようとした反動的な行為だったのだが、世論は『機関説』の内容を理解せずに美濃部を攻撃した。

 Wikipediaから以下の記事を転載する。
 美濃部議員の釈明演説が新聞に掲載されると、攻撃はかえって増幅した。これに乗じて、野党政友会は、機関説の提唱者で当時枢密院議長の要職にあった一木喜徳郎や、金森徳次郎内閣法制局長官らを失脚させ、岡田内閣を倒すことを目論んだ。
 一方政府は、陸軍大臣からの要求をのみ、議会終了後に美濃部を取調べることを警察に指示、出版法違反を理由に美濃部議員の著書『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊を発禁処分とした。
 また文部省は「国体明徴訓令」を発し、これにもとづいて政府は、1935年(昭和10年)8月3日と同年10月15日の2度にわたり、「国体明徴に関する政府声明」(国体明徴声明)を出して統治権の主体が天皇に存することを明示し、天皇機関説の教授を禁じた。
 さらに美濃部議員自身も内務省警保局長・唐沢俊樹によって不敬罪で告発され、検事局で取調べを受けた。しかし、この取調べに当たった検事さえもが美濃部議員の著書で天皇機関説を学び、美濃部が試験官を務めた高等試験司法科試験に合格して検事になっていた有様だった。結局、美濃部議員は起訴猶予処分となったが、同年9月18日に貴族院議員を辞職した。翌年、美濃部は右翼暴漢に銃撃され重傷を負っている。

 1937年(昭和12年)、文部省は先の国体明徴声明を踏まえた『國體の本義』を制定して全国の教育機関に配布した。その内容は、天皇機関説は西洋思想の無批判導入であり、機関説問題は西洋思想の影響を受けた一部知識人の弊風に原因があると断じたものだった。
 
・・・
 明治憲法が伊藤博文たち元老が中枢にいて天皇を輔弼することを想定していたため、内閣や総理大臣の権力を抑制的にしていたことが、ここへ来てあだとなった。この頃には元老も西園寺公望一人になっていた。明治の元勲だった伊藤や山形の時代ならともかく藤原北家の流れを汲むお公家様の政治家では軍部を抑えることなど出来なかったのだ。
 
 それから8年後、占領軍によって戦前の皇国史観が断罪された時、真っ先にやり玉となったのがこの『國體の本義』だった。
 皇国史観が日本人の過てる『選民思想』と『軍国主義』の根幹であって、それがアジア諸国への侵略戦争を引き起こした元凶であるという戦後の歴史教育で私は育った。
 
 筑波大学名誉教授の千本秀樹氏はそうした文脈で論文を書いている。
 『国体の本義』を読みなおすーhttp://gendainoriron.jp/vol.20/feature/chimoto.php
 <一部を引用する>

「国体」とは、わかりにくいことばである。大統領制や議院内閣制は「政体」であって、どの国でも歴史的に変遷する。国体とは、日本にしか存在しない概念であり、外国人には理解しにくいものである。日本にしか存在しないからこそ、日本は素晴らしい国家だということになる。『国体の本義』本文冒頭に、「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が萬古不易の国体である」とある。国体とは何かを知ろうとしてきたわたしにとっても、この規定は一言一句、過不足のない、絶妙な表現であると思う。

「万世一系」とは、天照大神以来、現代風にいえばY遺伝子で皇統をつないできたこと、「神勅」とは、『国体の本義』によれば、「我が肇国は、皇祖天照大神が神勅を皇孫ニ二ギノミコト(原文漢字)に授け給うて、豊葦原の瑞穂の国に降臨せしめ給うたときに存する」とある。「肇国(ちょうこく)」とは、「国をはじめる」という意味である。また、天皇を男系でつないできたことに意味があり、女系を認めれば、皇室が英国王室なみに格が下がるということになる。皇室が英国王室より優れているのは、女性差別をしているからである。「万古不易」とは、これまでも、これからも変わることはないということである。

『国体の本義』は、戦後GHQによって禁書とされ、歴史学界でも「天皇讃美の神がかり的な書物」としてかたづけられてきた。今ではインターネットで復刻版を手に入れられるが、書店では購入できない。『国体の本義』についての研究もほとんどなく、「新しい歴史教科書をつくる会」の杉原誠四郎元会長と保阪正康が言及した程度だった。

・・・中略・・・

『国体の本義』の構成は、緒言、第一大日本国体(一肇国、二聖徳、三臣節、四和と「まこと」)、第二国史に於ける国体の顕現(一国史を一貫する精神、二国土と国民生活、三国民性、四祭祀と道徳、五国民文化、六政治・経済・軍事)、結語となっている。

本書の主旨は、大日本帝国が神の国であってすばらしいということだが、本文156ページのなかに、他国を蔑視する、見下す表現が一か所もない。逆に、外来文化のおかげで日本は発展してきたという趣旨で一貫している。

緒言の冒頭は「我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途彌々(いよいよ)多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によって諸種の文物は顕著な発達を遂げた」から始まる。

「醇化(じゅんか)」とは、国語辞典的にいえば、「まじりけのない、純粋なものにすること」ということだが、わたしの勝手な語感からいうと、「消化して血肉化すること」、さらに「手なづけること」というニュアンスがある。東洋文化を日本の国体にあわせてつくりなおしたということである。そこには、アジア諸国への敬意はあっても、蔑視はない。

一方、欧米の思想についてはどうか。「我が国に輸入せられた西洋思想は、主として18世紀以降の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等を主張すると共に、他面に於て国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである」、「西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、また続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた」、「個人主義を本とする欧米に於ても共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの台頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る」と緒言では述べられている。

<中略>

『国体の本義』は、「和」を重視する。「我が肇国の事実及び歴史の発展の後を辿る時、常にそこに見出されるものは和の精神である。和は、我が肇国の鴻業より出で、歴史生成の力であると共に、日常離るべからざる人倫の道である。……個人主義に於ては、この矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存しない。即ち個人主義の社会は万人の万人に対する闘争であり、歴史はすべて階級闘争の歴史ともならう。……我が国の和は、理性から出発し、互に独立した平等な個人の機械的な協調ではなく、全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和(たいわ)である」。

<中略>

 日本の現状をファシズムであると主張しはじめたのは1935年の野坂参三であるが、その無理論さと杜撰さについては、神山茂夫の反論と比較して、旧稿で書いたことがある。また当時よりも、21世紀の現代の方が、ファシズムと呼ぶにふさわしいことも、本誌に執筆した。強権的な政治手法や政治体制を、なんでもファシズムと呼ぶのは科学的な態度ではない。佐藤優は、イタリアファシズムとドイツナチズムは異なっているというが、本稿では、1940年前後の日本とイタリア、ドイツとは政治・社会構造が本質的に異なっていたということだけを指摘しておく。日本は共産主義革命の前夜でもなかったし、下からのファシズム大衆運動もなかった。

『国体の本義』の姿勢は、東洋文化を蔑視するのではなく、また西洋文化を罵倒するのでもなく、それらをそれとして認めた上で、日本の国体に醇化することが必要だというものである。日本の国体はすばらしい、しかしそれは、西洋と比較してというわけではなく、本書では、日本と西洋は異なっているというところまでしかいわない。醇化が不充分だから混乱し、失敗すればファシズムに陥ると警告する。国体論を別にすれば、他文化に対する姿勢は、現代教育と共通するものがある。

<中略>

イザナギとイザナミはまず日本列島を産み、次に人間を産んだ。だから国土と臣民は同胞である。これは、西洋思想が自然を客体と見て、自然を加工して富を得ようとする自然観とは、根本的に異なる。わたしが人間を自然の一部とするアニミズムに関心を持っていることについて、ある仏教関係者から「それでは神道につながってしまう」と「警告」?を受けたことがあった。

<中略>

・・・「我が国は万世一系の天皇御統治の下、祭祀・政治はその根本を一にする。……明治天皇は『神祇を崇め祭祀を重んずるは皇国の大典政教の基本なり』と詔せられてゐる。即ち祭祀の精神は肇国以来政事の本となつたのであつて、宮中に於かせられては、畏くも三殿の御祭祀をいとも厳粛に執り行はせられる。……実に敬神と愛民とは歴代の天皇の有難き大御心である」。戦後日本では、たてまえとして政教分離が導入されたが、明仁天皇も宮中祭祀にことのほか熱心であり、しかもそれを国費で賄っている。

<中略>

「天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられる御方ではなく、現御神として肇国以来の大義に随つて、この国をしろしめし給ふ……」。明治憲法における天皇の地位を説明するときには、用語に気をつけないといけない。

<中略>
引用が長くなっているのは、西洋の政体や思想を本書が紹介するときに、あまりにも悪意がないことに驚くからである。こういう文書を政府が大々的に配布して、読者が、西洋の政体も捨てたものではないなと魅力を感じる危険性を危惧しなかったのであろうか。1930年代初頭、出版物の7割は左翼本であったと『読売新聞』は報じている。同じころ、ある高校長が、「左翼にかぶれていないのは、ごく一部の勉強しない劣等生だけ」と新聞記者に愚痴っている。それからわずか5年後である。

<中略>

天皇は現人神であるという叙述は、『国体の本義』の大部分を占めるのであるが、それ以外の部分は、わたしの考えとは異なるが、戦後でもある程度の割合で支持されそうである。また、戦前の人々が、天皇を「神」であると「信じて」いたことについて、それは現在の圧倒的多数の日本国民が天皇を象徴として承認していることと、本質的に変わらないのではないかと、WEB版本誌に書いた。

そうだとすると、『国体の本義』の内容が、戦後、そして現在まで継承されていてもおかしくない。もっとも、『国体の本義』は、外来文化の受容のしかたにしても、「和」の内容にしても、「武」のありかたにしても、「国体」はこうあってほしいという執筆者の願望を表現したものと考えるのが適切だと思える。

ちもと・ひでき

1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』(共著・アドバンテージ・サーバー)など。

<引用ここまで>
 
 政府は軍部や世論に追い込まれて『國體の本義』を出すのだが、こうした世論迎合は『現人神』などという大げさな表現の多用を生んでしまう。

 加藤玄智のような国粋主義者やマスコミや軍部の声に押されて『國體の本義』は世に出るのだが、天皇制廃止論者の千本先生でさえ『現人神』以外は否定的評価をしていない。
 政府官僚は、東大法学部出身者で占められており美濃部達吉のいわば門下生であり『現人神』と言挙げしても実態は天皇親政ではなく『天皇機関説』が機能すると信じていたからだと私は思う。

・・・
 『國體の本義』をWEB上に公開しているホームページがある。
国体の本義!日本の国体についての再考 その1
 https://shutou.jp/post-2818/
国体の本義!日本の国体についての再考 その2
 https://shutou.jp/post-3153/
・・・

 戦前をファシズムだと断罪する人達は、この『國體の本義』でファシズムに陥らないために国体の本義に立ち返ろうと書かれていることをどう評価するのだろう。

 友人のA氏は『日本人は流されやすい』から国会の3分の2の議決を要する硬性憲法で『9条』の縛りがあることは効能があると言う。

 確かに、終戦の8年前に国を挙げて『天皇機関説』を断罪した国民、軍人、政治家、マスコミは、政府をして『國體の本義』を編纂せしめ、この文脈で学者は『近代の超克』という時局迎合をするようになった。亀井勝一郎も三好達治も中村光夫もそして小林秀雄も名前を連ねているのだ。

 そして、戦争に負けると占領軍の政策誘導により戦前を『超国家主義』『ファシズム』『皇国史観』『軍国主義』『侵略国家』として断罪し、反論する者を『歴史修正主義』とレッテルを貼る。小林秀雄はその仲間にはならなかったが、世の中の大勢はこの流れに抗うことはなかった。

 私はA氏の『日本人は流されやすい』という言葉には説得力があると思うが、それは戦後の思潮にも連綿と続いているし、朝日新聞が戦前の自らの好戦的な主張を顧みることなく戦前を断罪して止まない姿勢にも辟易させられる。
 だからこそと言いたい。

『 日本人は流されやすい。だから共和制はなじまない。
 立憲君主制の良いところは『権威』が国民に超然として存在することだ。
 そしてその『お神輿』は『天皇』をおいて他にはいないし、これ程の『お神輿』を戴く国は世界中広しといえども日本だけなのだ。』

・・・

 『大日本帝国憲法』がこのような終わり方をするとは、伊藤博文も井上毅も思いもよらなかっただろう。まして彼らが考えた『国体』が捻じ曲げられていく過程をさぞかし泉下から苦々しく見ていたことだろうと思う。

 国家元首たる『天皇』は『お神輿』なのだ。だからこそ『天皇機関説』は通説だった。国家としての纏まりは『神道』という『神秘的な仮説』を古来より伝承してきた日本人の自然な心情に基づいていた。これこそが『国体』の本質であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 だからこそ井上毅は『神道』を『宗教』とはしなかった。それを突き崩し『現人神』を出現させてしまったのも日本人なのである。そしてGHQから『神道』を護るために『宗教』にしてしまう。『宗教』だから靖国神社に『公式参拝』することは憲法違反の疑いがあり、天皇の宮中祭祀に国家予算が使われていることにも同じ論法で反対する人々がいる。

 現在、『国体』と言えば『国民体育大会』の事を指す。『国体』は死語となって久しい。批判を恐れる保守陣営は『国柄』と言い直している。
 『国柄』と言うから『お国柄も時代と共に変わるもの』と言われてしまう。だからこそ言いたい、渡辺昇一が言うところのオカルトがこの国の原点だという一点をもう一度見つめることの大切さだ。理路庵先生の言う『無い』ものを感じる事はある意味オカルトである意味精神だろうはっきりと定義付け出来ない我々の古来より伝承されて来た感覚、日本人が日本人であることの根本に立ち返ることが『憲法違反』になるのなら、それは『憲法』自体に問題がある。
 何故なら、人為的な『憲法』は国民の文化的背景よりも上位に存在してはならないからだ。

 『濫觴を尋ぬれば』(了)

・・・
 理路庵先生の『憲法改正の必要性』にようやく辿り着いてこの連載を終えることが出来ました。
 さて、私が師と仰ぐ理路庵先生のブログは
『CEBU ものがたり』
 私の長く要領の得ないブログに辟易してる方に練達のブログを紹介します。
 
 


 
 
 

コメント

  1. 2000年を優に超える、気が遠くなるほどの長年月を経て、日本の天皇の御代は今日まで絶えることなく続いてきました。日本の皇室は世界に類を見ない最古の歴史を持つ王朝です。(この一点だけでも私たちは誇りに思うべきです)

    他の国々では革命などによって皇室が廃絶させられたりしてきましたが、日本の皇室は何故現代にいたるまで脈々と継承されてきたのか。
    「普通」の反意語が「異常」だとしたら、日本は異常な国だからです。

    日本人は「個」よりも「和」を尊ぶ民族です。日本はほとんど単一民族・単一言語の国であることも、「和」が主流となる大きな一因となっています。

    「和」の紐帯を成すのが神道です。古来から伝わる民俗信仰です。神道の中核に存するのが皇室(天皇)です。これが日本の国体(の本義)だと理解しています。
    国体を礎として、その時代時代の有り様(国柄)が生まれ伝統が築かれ歴史が作られていく。

    他の国々ではひとり一人の「個」が重視されるために、政体においては「○○主義」というタガをはめて国民の統一を図ります。そして国民の心を束ねるのが宗教です。

    皇室(天皇)ー神道ー日本人という国体の日本は、極論すれば、いかなる政治主義も宗教も無用で、以前にも同じようなことを書きましたが、自然発生的に日本人は集束することができます。日本のこのような姿は、外国の人たちから見れば、不思議に映ることも多々あるでしょう。

    昭和20年8月15日、天皇による玉音放送一下、日本人は敗戦を現実のものとして受け入れました。
    国が近代化に向かう時には経済力はもとより軍事力の増強が欠かせません。明治という新時代に突入した日本もまた明治憲法下で富国強兵に猛進し、特に軍部の台頭は当時の覇権主義全盛の時代からすれば必然であり、天皇を日本の頂点に戴くためには、たとえば「天皇機関説」などは眼中になく、排撃の格好の対象となったこともまた必然でした。

    今だからこそ何とでも言えるのですが、日本は成るべくして今の姿があります。他のアジアの国々のように、戦わずして植民地に成り下がることを選ぶべきだったのかどうか。戦火で甚大な犠牲を払った日本です。軽々しいことは言えませんが、ひとつの真実として、欧米の列強に勇猛に対峙したのは、アジアでは日本一国です。植民地にならずに済んだのです。このことからして、少なくとも私はいつも思うことですが、日本らしい国体が薄らいできているとはいえ、今日まで存続し続けていて、皇室がある限り消滅することはなく、いかにSNSが幅を利かせて世界が平板化しようとも、私たちは、その時代時代の国柄を形成して行きながら新たな伝統と歴史を後世に伝えることができると信じています。

    「濫觴を尋ぬれば」シリーズの重厚な作品をありがとうございました。

    最後に、ラフカディオ・ハーンの言葉をもって、明治という激動の時代に思いを馳せることにします。
    「日本人はこれだけ素晴らしい文化と伝統を持っていながら、ヨーロッパに追いつき追い越そうとするあまりに欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。
     器用な日本人は、彼らが作り出す製品は、近い将来欧米をはるかにしのぐ製品を生み出すようになるだろう。
     だが、そうなった時にはもう日本人は日本人でなく、日本人によく似た西洋人になってしまっていることだろう。
     そして、そうなった時に日本人は初めてかつて自分の町内の角に必ず立っていた石仏の何とも言えないかすかなほほえみに気づくだろう。実はそのほほえみは、かつての彼らの、彼ら自身のほほえみなのだ。」(「日本人の微笑」・1894)

    ハーンの静かな透徹したまなざしを感じます。


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  2.  理路庵先生、コメントありがとうございます。
     先生のコメントが見事にこのシリーズの『あとがき』になっているので唸ってしまいました。
     それにしてもラフカディオ・ハーンは日本の核心を理解していたのだと改めて思います。そして彼が不安に思っていたことが現実になってしまったことが証明した事実。理路庵先生が『日本は異常な国で良い』と言われた深い意味がそこに重なります。
     このシリーズは私なりにその意味を考えたもので、父が尊敬する足助さんと話している光景が何度も頭をよぎりました。それは父が足助さんに疑問をぶつける会話で、足助さんがしばし目をつむってから何やら話すと父が嬉しそうに相槌を打っていた光景です。
     直観的に『これは変だ』とか『何か違和感がある』と思った時にその意味を考えに考えて『こうなのかも知れない』と思っても、自分の頭の中だけで満足することは到底できません。
     父には足助さんがいた。私は子供ながらにそんな父に付き合ってくれる足助さんに感謝していました。あんな面倒くさい父の相手をするのは余程の人物でなければ無理だと思っていました。
     そして今、この歳になって自分の意見を書くことが出来るのは、理路庵先生の存在が無ければ考えられません。形は違えど父子で同じ事をしている自分が可笑しく思えてきます。
     本当にご面倒をおかけしますが、今後ともよろしくお願いいたします。

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