MIDNIGHT COWBOY
アポロ11号が月面着陸した1969年に『MIDNIGHT COWBOY(真夜中のカウボーイ)』という映画が公開された。
『卒業』という映画で一躍スターダムに上がったダスティン・ホフマンが、この映画では社会の底辺で死んでいく不遇な青年を見事に演じていた。
映画のあらすじが見たい人に、ブログ『MIHOシネマ』を参考のためリンクする。 https://mihocinema.com/midnight-cowboy-37954
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この年は『安田講堂事件』があった年でもある。戦後のベビーブーマーである団塊の世代が大学生になった頃、70年の安保改定に向けて学生運動が過激になっていた。この年の年末に一年を振り返ったNHKの番組。15分頃から安田講堂事件。
この年の東大は入学試験の中止に追い込まれたので受験生は東大入試の中止によって大きな影響を受けた。東大の合格者は毎年3,000人程度なので、受験生の上位3,000人を超える英才が他大学に流れたと言えば想像がつくと思うが例年よりも合格水準が引き上げられる有名大学が多く、人生を狂わされた人もまた多数にのぼった。私の先輩たちも軒並み志望校に入れずに浪人していたので、翌年も厳しい受験競争が予想されていた。
デカルトの心身二元論は、自然(物質)を形而上学から切り離し近代科学に道を開くものだったが、私はむしろ『人の本質は意識の主体である心にある』という主張を素直に受け入れて、自分は思考するから自己たり得るのだと思い形而上学への憧れを持った。しかしそれは自分の未熟さを改めて自身に突きつけることにもなった。
漱石やモームのように世界を自分の言葉で語る(評価する)人間になりたいと思った。さもなければ、太宰のように自死をする他は無い。
次に読んだのが、ルソーの『人間不平等起源論』だった。
あの有名な一説
「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と言うことを思いつき、それを信ずるほど単純な人々を見出した最初の人間が、政治社会の真の創立者であった。杭を引き抜き、あるいは溝を埋めながら、『こんな詐欺師の言うことを聞くのは用心したまえ。果実が万人のものであり、土地が誰のものでもないことを忘れるならば君たちは破滅なのだ』と同胞たちに向かって叫んだ人があったとしたら、その人はいかに多くの犯罪と戦争と殺人と、またいかに多くの悲惨と恐怖とを、人類から取り除いてやれたことだろう」
これにはいたく感銘した。後で気が付いたのだが、小学生の頃から学校教育の中で知らず知らずのうちに唯物史観(発展段階説)が植え付けられていた。『原始共産制』がそれで、ルソーのこの一文を読んだ時に妙に平仄が合ってしまった。
学校では大和朝廷がルソーの人間不平等起源論よろしく中央集権を確立していったと教えられた。記紀も不平等の起源を正当化するために編纂されたという筋書きだった。こうした解釈はヨーロッパの王権神授説を日本に無理矢理当てはめた結果だろうが、学校で教えられた事を疑うことは無かった。
権利にあぐらをかく者は保護されず、権利は与えられるものではなく、勝ち取るものという教えは小学校の担任の口癖だった。全学連の学生達を闘争に掻き立てたのもこうした戦後教育の成果だったのかも知れない。
ルソーは天賦人権説を説き自由及び平等という人権は天(神)から与えらた権利であるといい、それが思索の基礎をなしていた。だが現実には不平等な世界に人は生きている。そこでルソーは社会契約論で社会(国家)と人民(国民)との契約によって権利の二律背反を解決するべきと説く。
18世紀の啓蒙思想はフランス革命に思想的根拠を与え時代は変わっていく。この啓蒙思想が空想的社会主義を生み出して産業革命後の抑圧された人々が団結して資本家と対峙する根拠を与える。
こうした権利闘争を経て資本主義の持つ弱肉強食的な世界が少しずつ修正されて、弱者を救済する福祉国家が形成されて来た。ロシア革命によって労働者の国が誕生すると資本主義諸国は労働争議に直面するようになり、市場経済(見えざる神の手)に委ねるだけでは社会不安が増大するので資本主義は修正を余儀なくなれたからだ。
私の記憶が間違っていなければ、教科書的な解釈はそうしたものだった。
しかし、実際にルソーを読んでみて、私は啓蒙主義の根拠たる天賦人権説を鵜呑みに出来るのかという疑問が湧いてしまった。
人類の原初を想像して、原始共産制があったとか平等な社会だったとか言うのは疑わしい。ダーウィンの進化論では無いが、適者生存の厳しい環境にあったと考えるのが自然だろう。赤児を見れば分かることだが、赤児は欲しいという欲求があれば他人の所有物でも欲しがって泣く。少し長じれば奪おうと喧嘩になる。とても天賦人権説が適用される世界が所与として存在したとは思えない。
私は子供の頃に読んだ『二都物語』や『紅はこべ』の舞台になったフランス革命を想像していた。闘争により権利は獲得される。多くの人が死ぬ狂気が権利獲得に必要だとは余りにも悲しい。そこには社会変革についての根源的な何かが欠けている事が表れているのでは無いのか。
まるでフランス革命の騒乱を期待するかのように全学連は過激になっていた。ただ私は、父親の『親の脛かじりが天下国家を語るのは分不相応』と言う厳しい躾を受けていたので、全学連が反体制を叫んで闘争する根拠が知りたいと思った。
私は、父の言う半人前の学生が主張するその内容ではなく『闘争する権利』の権源を知りたいと思った。権利が互いにぶつかり合うとき、いずれが正しいと判断するには、父のように問答無用ではなく、普遍的な論理が必要だと思ったからだ。
足助さんは学生運動を麻疹の様なものと父に言っていた。足助さん自身がマルクスに一時期被れたと言う。戦前でも優秀な学生ほど唯物論に傾倒したらしい。今は猫も杓子も唯物論だからこんな騒ぎになるのだろうと笑っていた。
私は唯物論を学ぶレベルに至っていないと自覚していたし、生半可な唯物論は危険だと感じていたのは、周りの大人達がそうした態度だったからだ。
権利を担保するのは法である。『悪法もまた法である』と言って死刑を受け入れたソクラテスを思った。
そうだもう一度ソクラテスやプラトンに回帰しなければならない。私は何も分かっていないのだ。だが同時に回帰したところで世界を理解するどころか深い霧の中に迷い込むだけかも知れないという不安を抱えていた。
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