悲の器

 しばらくブログをお休みさせていただいた。もう読んでくださる方がいなくなったのかと思うと書く気力が湧いてこなかった。それでも一月も休んでいるうちに書くこと自体に意味があるように思えて再開する気になった。


 高橋和巳が1962年(昭和37年)に発表した『悲の器』から、確信犯不可罰論の部分を書き写した。これを読むとあの頃(1970年代)の若かった私が考えていたことが蘇ってくる。

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・・・鷲尾検事は、窓から忍び込む黄昏を背にして小黒板のわきに立ち、鵞鳥のように嗄れた声で、その青年の略歴から板書した。

 その青年は、甲南高等学校当時、読書を通じて党に接近、三・一五の検挙によって四年の刑をうけ、六年七月、刑期六ヵ月を残して仮釈放され、七年、再び党活動に入り、同年末、東京において検束された。

「すでにご承知のように、昭和三年四月、検察当局において八十二名の共産党活動者の起訴をおこなって以来、内務司法両検事局に各種の統計もつくられ、また当研究会においてもすでに数次にわたって、代表的人物の供述と活動歴についての、判明したかぎりでの紹介、討論も行われたのでありますが、今回の事例は、学問の階級制という問題からシンパサイザーとなり、入党していった、やや特殊なケースとして各位の御注意を喚起したいのであります。共産主義は、その一切の歴史進化を階級闘争の過程とみなし、一切の上部構造を、階級闘争の直接的あるいは間接的反映とみなすものである以上、学問もそれがよって立つ階級的立場により価値判断するものであることは当然でありますが、従来、統計されております入党動機分類におきましても、学者たらんと欲していた良家の子弟が、学問の階級性という問題に当面して左傾していったという事例は珍しく、それゆえ、いささか私見による整理もまじえて、報告したいと思った次第であります。とりわけ学者を志していたと申すだけあって、マルクス主義理論のみならず、ブルジョア政治学‥‥‥いや彼の申しますブルジョア政治学および法学についても相当にくわしく、検事尋問および予備審問におきましても<確信犯処罰不可能論>とでも申すべき、近代保護刑法理論および規範主義刑法理論の盲点をつく論説をなしており、その点、かつて当検事局において取調べられましたる無政府主義的テロリスト富田司の<法消滅論>に拮抗する重大問題を提起するものといえるのであります。本官は‥‥。」

~中略~

「さて、各検察官諸君に、いまさら近代刑法の講義をするかたちになるのははなはだおこがましい次第でありますが、しばらく、この青年、A君としておきます。A君の論議を要約してみたいと思うのであります。」

 その紹介の要旨はこうだった。

 周知のように、近代資本主義社会の発展にともなって、封建社会における宗教的贖罪思想、特権者の専断的裁判にかわるものとして、刑法学の領域には二つの近代的思潮が踵を接して登場した。一つはいわゆる客観主義の刑法理論であり、一つは主観主義のそれである。客観主義とは、個人の自由・独立・平等をとく観念的啓蒙主義をその背景にもち、ルソー的な社会契約説と提携的な関係にたつものである。各人は生得のものなる自己の自由を、公共の利益のために了承的に社会に供託するところから、社会は公共の一般意思にそむくものを罰する権限を賦与される。供託は平等であるがゆえに、その刑に身分や階層による差異があってはならず、罰は、犯した行為、傷付けた価値に等価的な応報・返済でなければばらず、また刑の軽重は、罪のランクと比例的に対応する性格をもたねばならない。各人の具体的な個別性を出発点とするなら、それは必然的に法の否認すなわち無政府主義におちいらねばならないから、それを避けるために、平均的人間像から出発し、犯罪を、個別的意志による普遍的意志の侵犯であると規定する。これが近代刑法の基本的グルントである。そしてこの場合、法を犯す人間も自由人であり、その自由意思によってのみ犯罪は行われるものと考えられる。

 とすると、少し考えてみればわかることながら、天賦の自由を分割して供託しておきながら、その同じ自由意志でその供託に背くというのは論理的におかしい。そのおかしい事が実際には無数におこった。ということは、この客観主義は、ルソーの社会契約説、カントの至上命令説より以前に、なお一つの形而上学を前提とすることを意味する。それはデカルト的理性主義、つまりは、万人が等しい理性と等しい価値可能性を賦与された人間として生まれてくるはずであるとする麗しい信念である。王権神授説にかわる理性神授説ー。だが、事実はちがっている。たとえば千人の小学児童の中には、かならず十五人程度の精神薄弱児がおり、百人の成人の中にはかならず数人の性格異常者がまじっている。犯罪統計学、犯罪心理学、犯罪精神病理学は、とりわけ累犯者の大半が、国民的平均からずれる痛ましき無自覚的逸脱者であることを証明した。そのとき、ひたすらに法文とその平等な施行にのみ留意していた刑法は、犯罪者の個性に目を向けはじめ、そして犯罪は、統計的に、自由意志によるよりも、その違法者をしてその犯罪をおかすにいたらしめた諸条件と要素によっており、考察は行為の土壌にさかのぼるべきことを悟るにいたったのである。癩者を隔離し、伝染病患者を社会が治療せねばならないように、かくて犯罪は社会的に予防し、社会的に矯正せねばならぬことを、いわゆる主観主義が説いた。罪刑比例主義ではなく、不定期な保護刑、保安処分がその刑法の中心に座った。

 すべての犯罪は、自然的、社会的現象であると主観主義は考える。そのかぎりにおいて、たしかにこれは近代的ヒューマニズムの延長線上にある法学上の発展だった。

 たちおくれて近代化した明治維新後の日本政府は、このヨーロッパに開花した二つの思潮を混淆してとりいれたが、いちおう、刑罰法定主義の客観主義をまず刑法典とし、それに主観主義的保安処分の諸法令をつけくわえたものとして整理することができる。刑法は明治四十年、少年法、矯正院法の制定が大正十一年であることが、如実にそれを示している。また大正十五年の法制審議会によって、「労働嫌悪者、アルコール中毒者、精神障碍者」に関する規定をもうけることが採択された。いや、これ以前に、明治三十三年に制定された行政執行法はすでに、ほぼそれに等しい規定をもっており、この行政執行法が刑法に対して公的にもつ意味も、世界的な潮流であった、主観主義と客観主義の相補性の日本的表現せあるはずのものであった。行政執行法第一条はこう言っている。

「当該執行官庁ハ泥酔者、瘋癩者自殺ヲ企ツル者其ノ他救護ヲ要スト認ムル者ニ対シ必要ナル検束ヲ加エ戎器、凶器其ノ他危険ノ虞アル物件ノ仮領置ヲ為スコトヲ得暴行、闘争其ノ他公安ヲ害スル虞アル者ニ対シ之ヲ予防スル為必要ナルトキ亦同シ」

 ところが、その明文化されたヒューマニズムは、まったく相反する非人間的役割を分担するにいたるのである。なぜなら、歴史の脚光を浴びて檜舞台に登場したブルジョアジーは、みずからの要求を貫徹したまさにそのとき、みずからの墓穴を掘る階級が背後に迫っていることに気づき、恐怖したからである。とA君は主張する。理念的には、各個人の自由の分割分の集合体であるはずの普遍意志は、現実には特定階級の権利を絶対化する国家権力であり、公案をみだすという名目のもとに、自然的異常者をではなく、社会的先覚者や異端者を脅迫し威嚇し、矯正せしめねばならず、犯人のしめす犯罪危険性が継続するあいだ、不定期的に刑は執行されねばならないという口実のもとに。従来の少年法、感化法にかわって、最近、つまり昭和八年「行刑累進処遇令」「思想犯ニ対スル留保処分取扱規定」さらに昭和十一年「思想犯保護観察法」が制定されたのが、その具体的あらわれである。

 確信犯に関しては、その犯罪の成立を、その動機にみる説、目的を重視する説、さらに社会的影響による客観的判定をとく意見が併存するが、彼らがその思想を胸にいだくだけで収監されねばならぬとする理由は、いぜんとして、社会より隔絶され、矯正されるべき危険性格者とみる点にある。しかしながら、確信犯は、性格異常者でも泥酔者でもない。それに対する<矯正>のためにも、彼らの動機・行為・責任を、彼ら自身の<自由>つまり決定し選択しうる意識を認めねばならない。でなければ構成要件の第一項目である行為有責性が欠け、<保護>はなしうるけれども、刑法上は<無罪>とということになるからである。確信犯である以上、その行為は過失ではなく故意である。である以上、それは既存の義務規範の違反であるに相違ない。思いあやまっておりましたと、確信犯に強制して言わせること自体、彼を検束したことの意味を失わせしめるものである。また一方、その故意が、持続的な緊急行為、つまり正当防衛ないし緊急避難であり、他の行為の期待可能性が、自由人であるゆえにこそ全くなかったと認められるならば、そこには違法性阻却が認められるはずであり、その行為は法律的に罰しえない。

 かくかくの通常人としての義務意識を持ち、その行為の禁ぜられていることを知り、その行為の結果をも予知する能力をもちつつ、いや、通常人より以上の予見力をもつゆえにこそ、それ以外になしえなかった者を、法は処罰できない。すくなくとも、保護刑説では処理できない。その行為こそが個人の委託された自由の集計である社会の要請を、啓示的に代表するものでないとの証明は、刑法自身の中にはないのだから。

「あなた方が私を裁くのは違法である、とA君は頬に朱をそそいで、叫んだのであります。そのとき、もし検察官の地位にある以上、その地位の要請として何人もその地位にあるならそうせざるを得ないという論理をもって対峙するなら、それはプラス・マイナス零ということになり、要するに確信犯は、その処刑のみならず、取調べもまた不可能ということになりかねないのであります。」

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 ハンセン病や知的障碍者に関して現在では認められない表現が散見されるが、1962年という時代背景を考慮して欲しい。高橋和巳は左翼系の作家で、個人を抑圧する国家という図式を基調とした作品を残している。その基本的な世界観がこの抜粋部分によく表現されていると思う。

 高橋和巳は、70年安保闘争の頃、全学連の学生に良く読まれたという。私は『団塊の世代』より遅く生まれた『断層の世代』なので、1971年に高橋和巳が39歳という若さで亡くなって書店に追悼のコーナーが出来た時に初めて知った。

 友人のKに『悲の器』を勧められて読んだのだが、硬質な文体と確信犯不可罰論の部分が特に印象に残ったと感想を言うとKが参考にしてと団藤重光の『刑法綱要 総論』を貸してくれた。

 法学生だったKとの出会いにあった『悲の器』、とりわけ確信犯不可罰論がKとの友情の出 発点だったと思う。私が構成要件該当性が問われるような『限界事例』を考えてKに質問するとKは喜んでこうした設問を様々な分野でぶつけ合うことが二人の愉しみになった。

 さて、拙ブログ「MIDNIGHT COWBOY」に書いた17歳の私がルソーの天賦人権説に抱いた疑問は解決せずその後も私を悩ませていた。その後、カントの『純粋理性批判』に手こずり悩まされていた私はフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』にある次の文章に出会った。

 カントは、彼の読者に対して、彼の遡行的方法の成果を直観的な概念に翻訳することを拒み、根源的で純粋に明証的な直観から出発して、真に明証的な一歩一歩を辿ることによって、前進的に理論を建設しようとする試象を拒んでいる。それゆえに彼の超越論的な諸概念は、原理的な理由からして決して明確に言いかえることができず、また決して、直接的な明証性を与える意味を形成するにいたりえないような、まったく独特の不明確さをもっている。

 カントは、哲学が数学のような必然的で普遍的な思考方法を得るためには、経験に拠らない『アプリオリ(先験的)な認識』に基づく理性が必要だとした。そこまでは何となく理解できた。そうした視点でデカルトやルソーを読み返してみると18世紀の啓蒙主義は、カントの批判に耐えられないということも理解できた。

 だが、それで私は何かを分かったことになるのだろうか。難解なカントに振り回されている内に、フッサールのカント批判に遭遇してしまった私は、五里霧中だった。

 そんな時『悲の器』を勧められ、私は確信犯不可罰論の論旨にある法哲学と自分の学んできたデカルトやルソーやカントを重ね合わせて読んで、少し思考の整理がついたような気がした。

 そして『ヴィットゲンシュタインのウィーン』(TBSブリタニカ)を手に取った。今は濁らずにウィトゲンシュタインと呼ぶらしい。あの頃「論理哲学論考」は翻訳されていなかったと思うがヴィトゲンシュタインの名前だけは知っていた。19世紀末のウィーンという舞台設定が日本の近代化と重なる時代、世界の文化の中心はハプスブルク帝国の首都ウィーンだった。音楽家のブラームスからマーラーという後期ロマン派からシェーンベルク等の現代音楽家までが活躍し、文学者のホーフマンスタールやフランツ・カフカ、精神分析学を創始したフロイトが、政治家では若き日のアドルフ・ヒットラーがいてEUの父といわれるクーデンホーフ・カレルギーがいた。まさに百花繚乱そのものだった。

 そしてかのヴィットゲンシュタインは、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と語り『形而上学は無意味』と結論する。それはないだろうセニョール。

 こうした話をKは喜んで聞いていた。そして私が疑問に思う箇所を朗読することを望んだ。たとえば、森鴎外の短編『かのように』を私が読み、これをもとに二人で話すことに興じたりしていた。

 さて『かのように』は青空文庫にあるので、次回は本文を紹介しながらKとの交流についてもう少し話を進めていこうと思う。
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 今回も長い駄文をお読みいただきありがとうございました。半世紀も前の記憶をたどりながら、青春を追体験しています。Kとはよくジャズ喫茶に行ったのですが、それは長居しても追い出されないからで喧騒の中で集中できる環境が読書に最適だったという理由でした。だからジャズに入れ込んでいた訳ではないのですが、自然と好き嫌いは出てくるものです。

 『ALL OF ME』という曲があります。まずはフランクシナトラで聞いて下さい和訳付きです。

 そしてサックスのレスター・ヤングが、ピアノのテディ・ウィルソン、ドラムのジョー・ジョーンズ、ベースのジーン・ラミーとセッションした録音です。それぞれのパートが曲のコード進行の中で自由に遊んでいるこれぞジャズという一曲ですね。

 最後はエラフィッツ・ジェラルドの歌唱で聞いてください。エラおばさんの素晴らしいスキャット、楽器顔負けですね。理屈抜きの名盤だと思います。

 皆さんはどの演奏が気に入りましたか?私はどれも大好きでどれを聴くかはその日の気分次第といったところでしょうか。
 





 


 


 


 



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