かのように

 森鴎外との出会いは中学生の時に興味本位で読んだ『ヰタセクスアリス』だった。『高瀬舟』は教科書に載っていたし、『雁』は原作を読む前に高峰秀子の映画で見て知っていた。『舞姫』や『うたかたの記』そして『安倍一族』や『山椒大夫』と鴎外の作品は多岐にわたるが、中学生の頃は漱石に夢中になっていたので鴎外は片手間という感じだった。漱石の『三四郎』を読んだあとで鴎外の『青年』を読んで私は勝手に漱石に軍配をあげていた。

 私の思い込みかも知れないが、鴎外には洋行帰りの知識をひけらかす趣きがありそれが何か鼻につくと感じていた。この『かのように』にもそうした鴎外の一面がよくあらわれていると思う。

 では、青空文庫からその一節を

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 綾小路は卓の所へ歩いて行って、開けてある本の表紙を引っ繰り返して見た。「ジイ・フィロゾフィイ・デス・アルス・オップか。妙な標題だなあ。」

 そこへ雪が橢円形のニッケル盆に香茶の道具を載せて持って来た。そして小さい卓を煖炉の前へ運んで、その上に盆を置いて、綾小路の方を見ぬようにしてちょいと見て、そっと部屋を出て行った。何か言われはしないだろうか。言えば又恥かしいような事を言うだろう。どんな事を言うだろう。言わせて聞いても見たいと云うような心持で雪はいたが、こん度は綾小路が黙っていた。

 秀麿は伏せてあるタッスを起して茶を注いだ。そして「牛乳を入れるのだろうな」と云って、綾小路を顧みた。

「こないだのように沢山入れないでくれ給え。一体アルス・オップとはなんだい。」こう云いながら、綾小路は煖炉の前の椅子に掛けた。

「コム・シィさ。かのようにとでも云ったら好いのだろう。妙な所を押さえて、考を押し広めて行ったものだが、不思議に僕の立場そのままを説明してくれるようで、愉快でたまらないから、とうとうゆうべは三時まで読んでいた。」

「三時まで。」綾小路は目をみはった。「どうして、どこが君の立場そのままなのだ。」

「そう」と云って、秀麿は暫く考えていた。千ペエジ近い本を六七分通り読んだのだから、どんな風に要点を撮つまんで話したものかと考えたのである。「先ず本当だと云う詞からして考えて掛からなくてはならないね。裁判所で証拠立てをして拵えた判決文を事実だと云って、それを本当だとするのが、普通の意味の本当だろう。ところが、そう云う意味の事実と云うものは存在しない。事実だと云っても、人間の写象を通過した以上は、物質論者のランゲの謂う湊合が加わっている。意識せずに詩にしている。嘘になっている。そこで今一つの意味の本当と云うものを立てなくてはならなくなる。小説は事実を本当とする意味に於いては嘘だ。しかしこれは最初から事実がらないで、嘘と意識して作って、通用させている。そしてその中に性命がある。価値がある。尊い神話も同じように出来て、通用して来たのだが、あれは最初事実がっただけ違う。君のかく画も、どれ程写生したところで、実物ではない。嘘の積りでかいている。人生の性命あり、価値あるものは、皆この意識した嘘だ。第二の意味の本当はこれより外には求められない。こう云う風に本当を二つに見ることは、カントが元祖で、近頃プラグマチスムなんぞで、余程卑俗にして繰り返しているのも同じ事だ。これだけの事は一寸ちょっと云って置かなくては、話が出来ないのだがね。」

「宜しい。詞はどうでも好い。その位な事は僕にも分かっている。僕のかく画だって、実物ではないが、今年も展覧会で一枚売れたから、慥かに多少の価値がある。だから僕の画を本当だとするには、異議はない。そこでコム・シィはどうなるのだ。」

「まあ待ち給え。そこで人間のあらゆる智識、あらゆる学問の根本を調べてみるのだね。一番正確だとしてある数学方面で、点だの線だのと云うものがある。どんなに細かくぽつんと打ったって点にはならない。どんなに細くすうっと引いたって線にはならない。どんなに好く削った板の縁も線にはなっていない。角も点にはなっていない。点と線は存在しない。例の意識した嘘だ。しかし点と線があるかのように考えなくては、幾何学は成り立たない。あるかのようにだね。コム・シィだね。自然科学はどうだ。物質と云うものでからが存在はしない。物質が元子から組み立てられていると云う。その元子も存在はしない。しかし物質があって、元子から組み立ててあるかのように考えなくては、元子量の勘定が出来ないから、化学は成り立たない。精神学の方面はどうだ。自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾くに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。どんな哲学者も、近世になっては大低世界を相待に見て、絶待の存在しないことを認めてはいるが、それでも絶待があるかのように考えている。宗教でも、もうだいぶ古くシュライエルマッヘルが神を父であるかのように考えると云っている。孔子もずっと古く祭るに在ますが如くすと云っている。先祖の霊があるかのように祭るのだ。そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ちかのようにが土台に横よこたわっているのだね。」

「まあ一寸待ってくれ給え。君は僕の事を饒舌る饒舌ると云うが、君が饒舌り出して来ると、駆足になるから、附いて行かれない。その、かのようにと云う怪物の正体も、少し見え掛っては来たが、まあ、茶でももう一杯飲んで考えて見なくては、はっきりしないね。」

「もうぬるくなっただろう。」

「なに。好いよ。雪と云う、証拠立てられる事実が間へ這入はいって来ると、考えがこんがらかって来るからね。そうすると、つまり事実と事実がごろごろ転がっていてもしようがない。それを結び附けて考えようとすると、厭でも或る物を土台にしなくてはならない。その土台が例のかのようにだと云うのだね。宜しい。ところが、僕はそんな怪物の事は考えずに置く。考えても言わずに置く。」綾小路は生温なまぬるい香茶をぐっと飲んで、決然と言い放った。

 秀麿は顔を蹙しかめた。「それは僕も言わずにいる。しかし君は画だけかいて、言わずにいられようが、僕は言う為めに学問をしたのだ。考えずには無論いられない。考えてそれを真直ぐに言わずにいるには、黙ってしまうか、別に嘘を拵こしらえて言わなくてはならない。それでは僕の立場がなくなってしまうのだ。」

「しかしね、君、その君が言う為めに学問したと云うのは、歴史を書くことだろう。僕が画をかくように、怪物が土台になっていても好いから、構わずにずんずん書けば好いじゃないか。」

「そうはいかないよ。書き始めるには、どうしても神話を別にしなくてはならないのだ。別にすると、なぜ別にする、なぜごちゃごちゃにして置かないかと云う疑問が起る。どうしても歴史は、画のように一刹那を捉とらえて遣っているわけにはいかないのだ。」

「それでは僕のかく画には怪物が隠れているから好い。君の書く歴史には怪物が現れて来るからいけないと云うのだね。」

「まあ、そうだ。」

「意気地がないねえ。現れたら、どうなるのだ。」

「危険思想だと云われる。それも世間がかれこれ云うだけなら、奮闘もしよう。第一父が承知しないだろうと思うのだ。」

「いよいよ意気地がないねえ。そんな葛藤なら、僕はもう疾くに解決してしまっている。僕は画かきになる時、親爺が見限ってしまって、現に高等遊民として取扱っているのだ。君は歴史家になると云うのをお父うさんが喜んで承知した。そこで大学も卒業した。洋行も僕のように無理をしないで、気楽にした。君は今まで葛藤の繰延くりのべをしていたのだ。僕の五六年前に解決した事を、君は今解決して、好きなように歴史を書くが好いじゃないか。已むを得んじゃないか。」

「しかし僕はそんな葛藤を起さずに遣っていかれる筈だと思っている。平和な解決がつい目の前に見えている。手に取られるように見えている。それを下手に手に取ろうとして失敗をすることなんぞは、避けたいと思っている。それでぐずぐずしていて、君にまで意気地がないと云われるのだ。」秀麿は溜息を衝いた。

「ふん、どうしてお父うさんを納得させようと云うのだ。」

「僕の思想が危険思想でもなんでもないと云うことを言って聞せさえすれば好いのだが。」

「どう言って聞せるね。僕がお父うさんだと思って、そこで一つ言って見給え。」

「困るなあ」と云って、秀麿は立って、室内をあちこち歩き出した。

 ひかげはもうヴェランダの檐を越して、屋根の上に移ってしまった。真蒼に澄み切った、まだ秋らしい空の色がヴェランダの硝子戸を青玉のように染めたのが、窓越しに少し翳んで見えている。山の手の日曜日の寂しさが、だいぶ広いこの邸やしきの庭に、田舎の別荘めいた感じを与える。突然自動車が一台煉瓦塀れんがべいの外をけたたましく過ぎて、跡は又元の寂しさに戻った。

 秀麿は語を続ついだ。「まあ、こうだ。君がさっきから怪物々々と云っている、その、かのようにだがね。あれは決して怪物ではない。かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。昔の人が人格のある単数の神や、複数の神の存在を信じて、その前に頭を屈かがめたように、僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める。その尊敬の情は熱烈ではないが、澄み切った、純潔な感情なのだ。道徳だってそうだ。義務が事実として証拠立てられるものでないと云うことだけ分かって、怪物扱い、幽霊扱いにするイブセンの芝居なんぞを見る度に、僕は憤懣に堪えない。破壊は免るべからざる破壊かも知れない。しかしその跡には果してなんにもないのか。手に取られない、微なような外観のものではあるが、底にはかのようにが儼乎として存立している。人間は飽くまでも義務があるかのように行わなくてはならない。僕はそう行って行く積りだ。人間が猿から出来たと云うのは、あれは事実問題で、事実として証明しようと掛かっているのだから、ヒポテジスであって、かのようにではないが、進化の根本思想はやはりかのようにだ。生類は進化するかのようにしか考えられない。僕は人間の前途に光明を見て進んで行く。祖先の霊があるかのように背後を顧みて、祖先崇拝をして、義務があるかのように、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く。そうして見れば、僕は事実上極蒙昧な、極従順な、山の中の百姓と、なんの択ぶ所もない。只頭がぼんやりしていないだけだ。極頑固な、極篤実な、敬神家や道学先生と、なんの択ぶところもない。只頭がごつごつしていないだけだ。ねえ、君、この位安全な、危険でない思想はないじゃないか。神が事実でない。義務が事実でない。これはどうしても今日になって認めずにはいられないが、それを認めたのを手柄にして、神を涜す。義務を蹂躙する。そこに危険は始て生じる。行為は勿論もちろん、思想まで、そう云う危険な事は十分撲滅しようとするが好い。しかしそんな奴の出て来たのを見て、天国を信ずる昔に戻そう、地球が動かずにいて、太陽が巡回していると思う昔に戻そうとしたって、それは不可能だ。そうするには大学も何も潰つぶしてしまって、世間をくら闇にしなくてはならない。黔首を愚にしなくてはならない。それは不可能だ。どうしても、かのようにを尊敬する、僕の立場より外に、立場はない。」

 これまで例の口の端の括弧を二重三重にして、妙な微笑を顔に湛たたえて、葉巻の烟りを吹きながら聞いていた綾小路は、煙草の灰を灰皿に叩き落して、身を起しながら、「駄目だ」と、簡単に一言云って、煖炉を背にして立った。そしてめまぐろしく歩き廻りながら饒舌っている秀麿を、冷やかに見ている。

 秀麿は綾小路の正面に立ち止まって相手の顔を見詰めた。蒼い顔の目の縁がぽっと赤くなって、その目の奥にはファナチスムの火に似た、一種の光がある。「なぜ。なぜ駄目だ。」

「なぜって知れているじゃないか。人に君のような考になれと云ったって、誰がなるものか。百姓はシの字を書いた三角の物を額へ当てて、先祖の幽霊が盆にのこのこ歩いて来ると思っている。道学先生は義務の発電所のようなものが、天の上かどこかにあって、自分の教おすわった師匠がその電気を取り続ついで、自分に掛けてくれて、そのお蔭かげで自分が生涯ぴりぴりと動いているように思っている。みんな手応のあるものを向うに見ているから、崇拝も出来れば、遵奉も出来るのだ。人に僕のかいた裸体画を一枚遣って、女房を持たずにいろ、けしからん所へ往いかずにいろ、これを生きた女であるかのように思えと云ったって、聴くものか。君のかのようにはそれだ。」

「そんなら君はどうしている。幽霊がのこのこ歩いて来ると思うのか。電気を掛けられていると思うのか。」

「そんな事はない。」

「そんならどう思う。」

「どうも思わずにいる。」

「思わずにいられるか。」

「そうさね。まるで思わない事もない。しかしなるたけ思わないようにしている。極きめずに置く。画をかくには極めなくても好いからね。」

「そんなら君が仮に僕の地位に立って、歴史を書かなくてはならないとなったら、どうする。」

「僕は歴史を書かなくてはならないような地位には立たない。御免を蒙こうむる。」綾小路の顔からは微笑の影がいつか消えて、平気な、殆ほとんど不愛想な表情になっている。

 秀麿は気抜けがしたように、両手を力なく垂れて、こん度は自分が寂しく微笑んだ。「そうだね。てんでに自分の職業を遣って、そんな問題はそっとして置くのだろう。僕は職業の選びようが悪かった。ぼんやりして遣ったり、嘘を衝いてやれば造做はないが、正直に、真面目に遣ろうとすると、八方塞ふさがりになる職業を、僕は不幸にして選んだのだ。」

 綾小路の目は一刹那せつな鋼鉄の様に光った。「八方塞がりになったら、突貫して行く積りで、なぜ遣らない。」

 秀麿は又目の縁を赤くした。そして殆ど大人の前に出た子供のような口吻で、声低く云った。「所詮しょせん父と妥協して遣る望はあるまいかね。」

「駄目、駄目」と綾小路は云った。

 綾小路は背をあぶるように、煖炉に太った体を近づけて、両手を腰のうしろに廻して、少し前屈みになって立ち、秀麿はその二三歩前に、痩せた、しなやかな体を、まだこれから延びようとする今年竹のように、真っ直にして立ち、二人は目と目を見合わせて、良やや久しく黙っている。山の手の日曜日の寂しさが、二人の周囲を依然支配している。

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 これは明治44年に発表された。大逆事件があり、思想信条の自由と社会騒乱が結びついて思想統制が行なわれるという政治的な動きがあった中で書かれたものである。 日本史を書くことをライフワークにしようと考えている秀麿にとって皇室の藩屏を自負する父親の五条子爵に記紀(古事記・日本書紀)は真実ではないと言えるのかと悩んでいるという構図の中で記紀は歴史ではないという学問的事実と明治国家の建前との整合性をどう図るのかという命題に鴎外なりの考え方を提示したものと思われる。

 ファイヒンガーの『かのような哲学』からヒントを得て書かれているので、その説明を秀麿にさせている場面がこの小品の眼目となる。私はこの場面に惹かれるものがあった。それはカントを苦しみながら読んでいた時期と重なっていたからに他ならない。カントは数学の純粋性を出発点として物事を考えようとした。『ア・プリオリ(先験的)な』というとき、全ての経験知を取り除いた純粋命題を指し示す。ところが『かのように哲学』では『ア・プリオリ』な点や線は存在せず仮定に過ぎないという。

 私はこの場面を音読してKに聞いてもらった。私はKに対して『面白い話だが、身も蓋もないね。』と言った。『かのように』で済ませてしまうのはある意味で思考停止ではないのか。Kはしばらく考えていたが、『自由意志についての言及は面白いね』と言った。

 刑法上の責任は、人は素因的・環境的要因によって制約されつつも制限された範囲で自由な意思決定によって行為しうるとする相対的非決定論を前提として、自由意思(自由意志)による他行為可能性(構成要件に該当する違法な行為を回避できたこと)によって基礎づけられる道義的責任である(Wikipedia)

 つまり我々は『自由意志=かのように』を否定すると社会が崩壊する危機に陥ってしまうのだ。秀麿の懊悩はまさにこの一点にある。神話を否定することについての危機意識を父親や明治政府と共有している(秀麿自身が男爵に叙せられている)が、それは学問的な誠実さに離反すると思うからだ。

 するとKは以下のようなことを言った。正確には思い出せないが概ねこんなことだった。

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  福沢諭吉は、人間は生まれながらにして自由・平等に生きる権利をもつという天賦人権論をかかげて『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり』と「学問のすすめ」に書いた。このように18世紀の啓蒙思想は明治維新の日本にも大きな影響を与えたことがわかる。

 さて、近代法学を日本が受け入れる時、福沢のような単純明快な話ではないということが少しずつわかってくる。例えば、ドイツ語のRecht とフランス語のDroitは『法』=『権利』を意味する単語なのだ。

 『法』と『権利』はコインの両面のようなもので、例えば伝染病から国民を護ろうと法律を作る。『伝染病予防法』には『強制隔離』を含む私権の制限がうたわれている。より大きな法益を護るために権利の制限が法定される。では、より大きな法益とは何だ。ルソーのいうような『各人は生得のものなる自己の自由を、公共の利益のために了承的に社会に供託するところから、社会は公共の一般意思にそむくものを罰する権限を賦与される。』とする社会契約論の前提こそ『かのような』というべき曖昧なものになってしまう。

 つまり『革命』が正当化される状況は、この曖昧な『一般意思』に対する異議申し立てが成立する時であり、そこには実定法の縛りはなくなっている。

・・・・

 『革命は情緒的な運動ではなくて社会科学的な理論的背景がある。資本主義社会におけるブルジョアあるいはプチブルの依拠している論理とのせめぎ合いが面白いのさ。』とKは言った。話は高橋和巳の『悲の器』に出てくる『確信犯不可罰論』に及び尽きなかった。

 この時、私は左翼学生の基本的な立場を理解したような気がした。Kの廻りには左翼運動家がいたが、K自身は左翼運動とは距離を置いていた。実践には興味がなく、学問的理解を深めることに生き甲斐を感じていたのだと思う。

 私は、いよいよマルクスを読まなけれならないのだろうかと思ったが、Kはその前にヘーゲルを読むように勧めてくれた。それは弁証法を理解するのが先だという理由からだった。

・・・

 吉祥寺にあった名曲喫茶『コンツェルト』とその二階にあったジャズ喫茶『MORE』そして東急百貨店の裏にあった紅茶専門の喫茶店『ホワイトハウス』などでKと待ち合わせをしながら本を読んでいた。

 あの頃は、本を読むのが苦にならなかった。集中していると脳が研ぎ澄まされていくような感覚があって難しい事もすうっと頭に入ってくるような気がしたが、本当は何もわかってはいないという自覚があって、知識を吸収することで不安を打ち消そうとしていたとも言える。

 そんな私にKが与えた影響は絶大だった。凡庸な私にはKの回転の速い明晰な頭脳が眩しかった。私は必死でKの後ろ姿を追いかけていたのかもしれない。

 晩秋の夕刻『コンツェルト』で読書をしていた時、ブラームスが流れ思わず庭に目を転じた。日没前の至福の一刻、夕陽を浴びた枯葉が輝いていた。

 ブラームスの交響曲第三番より第三楽章(The 3rd movement (Poco allegretto) from Johannes Brahms' Symphony no.3, Op.90, with the Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Sir John Barbirolli, recorded December 1967.




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